作家の塩野七生さんのエッセイ集を読んでいます。

そのなかに、『肉体讃歌』と題された文章がありました。

この文章を読んで、高橋くんの滑りを思い出しました。

(よくあることだ)


この文章で、塩野さんは、全盛期のカール・ルイスの肉体に目を奪われたときのことを書いていらっしゃいます。

そのとき彼女は思わずイタリア語で、

「完璧なる肉体!」

「神々しいまでの創造物!」


「神々しい」=sublimeは、映画『アマデウス』で、モーツアルトの音楽を初めて聴いたサリエリが、思わず発した讃辞の訳に使われているそうです。


その肉体を、塩野さんは、古代ギリシャの彫刻になぞらえています。

いえ、私も古代ギリシャなんて、まったくわかりません。

しかし、塩野さんがおっしゃるには、古代ギリシャ彫刻は、肉体の美を、芸術の極致で表現しているとか。その表現の芸術性は、「神の恩寵の賜物」とも言えるそうです。

そこに表れた肉体の美しさは、たとえ頭部がなくても成立するそうで、単なるカタチの模倣ではなく、ひとつの作品,オペラである、と塩野さんはおっしゃっています。

(ちなみに、ローマ以降の彫刻は、顔がないと大理石の塊と同じなんですって)


そのような芸術にあったとき、人は幸せな気持ちになれる。

これは、完璧な美と力を示すカール・ルイスの肉体も同じだ、と。



以前に、高橋くんの滑りと相対性理論 の記事を書いたことがあります。

それと、このカール・ルイスの肉体のお話、同じかなあと思いました。


優れた芸術作品としての引力。

そこから感じる幸せな気持ち。

流れる時間の同調(=我を忘れるってことですね)。


カール・ルイスの肉体も。

古代ギリシャ彫刻も。

そして、高橋くんの滑りも。


「時間の同調」は、その作品が、観ている者の心のなかのなにかと響きあったときに起きるのかな、と思っています。


たとえば、『ブエノスアイレスの四季』。

冷たく、深く、激しく、そして切ないなにかが、心を揺さぶります。

私の心の中のなにを揺さぶっているのだろう。

あの彼の滑りは。




それにしても、やっぱりJOのほうが揺さぶられた気がするなあ。

と思って、JOの映像をテレビで見ようと思ったら、

これも仕事場のレコーダーの中だった!!!

うわああああああ~~~ん!