第6話 父が旅立った後、残された母と私の関係性は・・・ | 壮絶なDV 体験、命を落としかけたからこそ、安心、安全な居場所作りを提案します。

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24歳で結婚 年子を生んだ頃より夫からの壮絶な暴力を受け始める。
10年の結婚生活にピリオドをうち離婚 パニック障害 薬依存になる
が自らの思考を変える事で パニック障害を克服する。
プライベートサポートもさせていただきます。

【母の影響力で、私の人生が歪められてきた】


毎日、綴ってまいりました

母と私のヒストリーも、後半になってきました。


こころの人権講師

野村徳子です。


まだ、お読みになってない方は、

こちから、お読み下さい🙇‍♀️

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第1話 こちらから

第2話 こちらから

第3話 こちらから

第4話 こちらから

第5話 こちらから



本日は、第6話です。

第5話で、綴りましたが、私は、毎日のように

仕事が終われば、同僚と飲みに行ったりしていました。



ある日、父が、貧血で倒れた事があり

病院に行くように言っても、なかなか

父は、病院には、行きませんでした。



ちょうど、父の会社が移転する事になり

準備に忙しく落ち着いたら、病院に行くと

言っていましたが、それから半年後

父は、会社で倒れてしまいます。

病院に行った結果は



末期の大腸癌 ステージ5



でした。



とりあえず、手術はしてもらう事になりましたが

再発は、免れないと言われました。





こんなに、笑顔が素敵な父も。

病は、どんどん、父の身体を蝕んでいきました。



それからの私は、飲みに行く回数も減らし

病院に通う日々になりました。



1度は、退院しましたが

すぐに、再発!


最後に、一時帰宅の許可をもらった時の父です。



こんなにも、変わるんですよね。


私は、何枚も、写真を撮りました。

これが、自宅で過ごせる最後だったから



父は、やけに私が写真を撮るなあと思った

みたいでしたが。



父が、亡くなる前の1カ月間は

病院に泊まり込んで、母と交代で寝るように

していました。



なぜなら、父が、身体の管をすぐ抜いてしまうはので、どちらかが起きて父が管を抜かないように

見張ってる状態が続きました。



残念ながら、手術後 わずか1年

父、56歳で、旅だって行きました。



私が23歳の時でした。

55年の私の人生の中で、父の死ほど

辛く悲しかった出来事はなかったです。

他に、どれほど厳しい人生があってもです。



父との別れ以上に辛かった出来事は

未だにありません。



姉がいますが、すでに結婚しており

父が亡くなった後、母と2人になったのです。



母は、まだ、48歳でした。

高知の田舎から、結婚で都会に出てきた母です。



父が亡くなってからは

私が、飲みに行くたびに、



梅田まで出ておいで



と、母を誘い同僚と一緒に母も飲みに

行ったり、カラオケに行ったりして

寂しくないように過ごしていました。



父がいなくなった喪失感と母と2人暮らしが

やはり、いやだったのと、結婚したいな!

という思いからお見合いをしたりしていましたが



当時、取引先で、働いていた元夫と縁があり

私は、24歳で結婚をする事になりました。



ですが、1人暮らしになる母を思うと

遠くに行けず、徒歩5分くらいの所に

住む事にしたのです。



第6話は、ここまでです。

明日は、結婚してからの母との距離や

関係性を綴ってみたいと思います。



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