第2話 離婚後の私達元夫婦のイメージは、こんな風にイメージをしました。 | 壮絶なDV 体験、命を落としかけたからこそ、安心、安全な居場所作りを提案します。

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24歳で結婚 年子を生んだ頃より夫からの壮絶な暴力を受け始める。
10年の結婚生活にピリオドをうち離婚 パニック障害 薬依存になる
が自らの思考を変える事で パニック障害を克服する。
プライベートサポートもさせていただきます。


【離婚後の元夫婦のあり方】

こころの人権講師
野村徳子です。

昨日から、書き始めました。
離婚した後の私達、元夫婦のヒストリーを
シリーズにして表現しようと思います。

第1話を読まれてない方は
こちらから。

第1話 こちらから

本日は、第2話です。

私達元夫婦が、離婚したのは、
今から21年も前になります。

忘れもしない
1999年9月6日に、離婚届を提出しました。
その経緯は、私の平成物語からお読みください


実は、どこにも書いた事は、ありませんが
離婚をする前、
離婚より先に 私達家族5人で、実家を
出ようという話しもしていたのです。

当時、私はパニック障害になっていました。
原因は、夫だけではなく私の母も
影響があったからです。

小さい頃から、確執があり
結婚してからも、父が亡くなっていたので
母1人は、寂しいだろうと、実家から
徒歩10分くらいの所に暮らしていました。

母は、毎日、毎日 夕方に来て
私の家で、晩ご飯を食べていました。
阪神淡路大震災からは、実家で同居

私は、母から離れた事が1度もありません。
元夫は、私と母の関係を見ていて
いつも、お姑さんと暮らしているように
見える。
というほど、私はいつも母に気を使っていました。

なぜなら、母は口が凄かったからです。
例えば、私が疲れて昼間少し横になっているのを
見ただけで。

何をコロコロ寝てるの❗️

何かにつけて言われるので
私は、横になる時も、雑巾を持って横になり
母の足音が聞こえると、慌てて拭き掃除を
始めるくらい、母が負担でした。

だから、離婚の前に、まず母から離れたい
そうも思い、5人で暮らすマンションを
探したりしました。

夫は、私と母の関係性を知ってるだけに
5人で暮らして、落ち着いたら離婚する事を
了承してくれました。

ですが、経済的に難しいという事になり
結局、私達、夫婦が離婚

私と3人の娘は、そのまま実家に残り
元夫だけが、実家から出る形となりました。

離婚する際、私は夫にこんな風に言いました。
夫婦という形は、破綻しても
3人の娘のお父さんでありお母さんである事は
生涯変わらない。

明石家さんまさん大竹しのぶさんのような
離婚しても、人としての関係性は仲良く
していきたい。
また、そうなれるように努力をしよう。

そんな話しをしました。

娘達は、毎週のように土曜日になると
夫のマンションに泊まりに行きました。
私が、電車で送り夫に娘達をあずけ
翌日は、夫が、3人の娘達を最寄駅まで
送って来てくれ 5人で食事をしてから
別れる。

そんな日々が、続きました。



ここまでが、第2話です。

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