ゴミのように見えるメモ書きなのに、私の命を繋げてくれた宝物 | 壮絶なDV 体験、命を落としかけたからこそ、安心、安全な居場所作りを提案します。

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24歳で結婚 年子を生んだ頃より夫からの壮絶な暴力を受け始める。
10年の結婚生活にピリオドをうち離婚 パニック障害 薬依存になる
が自らの思考を変える事で パニック障害を克服する。
プライベートサポートもさせていただきます。


こんにちは。
野村徳子です。

私の講師仲間の藤原友子さんが この度
出版されました。
さっそく、アマゾンで注文。

待ちに待った本が届きました。


片付けって、大変だと思いませんか?
得意な人もいるとは、思いますが
子どもがいるとなかなか片付かないですよね。

特に、子どもの物は、小さい頃は
全て 母親が片付けますが
子どもの成長に伴い、子どもにも
自分の物という意識も生まれ

・親が勝手に触れない。

・片付けられない。

・捨てられない。

ようになってきますよね。

昔の私は、きっとデリカシーに欠けてた。
娘の物なのに、片付けないなら いらない物と
して捨てるよ!!

多分、鬼の形相で言ってたし
悪気は、なくても、捨てたりしてました。

だって、私から見たら どっからどうみても

いらないように見えたし。
ゴミと間違うし。
大事な物やったら 大切にしまってるし。

そんな思い込みも、あったと思います。

でも、ある事を境に、私が今まで
見えていた物から180度変わっていったんです。

それは、私の過去の出来事にさかのぼります。

今から20年前、離婚する時に。
今でも、忘れられない出来事があるのです。

離婚する経緯は、こちらをお読み下さい 
↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓     ↓    ↓
この記事には、実はまだ書いてない事がある
のです。

昨年末に出版した電子書籍にも
書いていない過去の真実です。

離婚する時、母から

マスオさん状態のあの人が出て行ったら
私が追い出したと思われるでしょ。
あなたも三人の娘を連れて出て言って

そう言われた後。

幼なじみ以外に、もう一人私の人生に
登場してくれた人が、実はいたんです。

ちょっと、今日は、話が長くなりますので
疲れる方は、スルーもしくは、また後日
読んでいただけたら 嬉しく思います。

********************

当時、自律神経失調症だった私は
母から この家を出て言ってと言われ
それなら物理的に離婚は、無理
実家で今まで通りの暮らしをしなければ
いけない。

離婚する道を断たれてしまったと思って
不安と恐怖にかられパニック障害に
なってしまいました。

それでも、毎日毎日 日常をこなさなければ
ならなかった。
朝は、子ども達を学校に送り出し
夫には、朝食を作り、お弁当を作り
洗濯、掃除 PTAの役に地域の体育振興会の役

目まぐるしい毎日でした。
パニック障害だった私は、安定剤や睡眠薬を
かかす事が出来ませんでした。

薬を飲んでいても、人間恐怖症でもありましたから、出来るだけ必要以上に人と話しをするのは
避けていました。

私の住む地域では、小学校区の中で親睦を
深める為に 町別対抗の運動会があったり
卓球・バレーボール・ソフトボール大会
などもありました。

たまたま、ソフトボール大会に、出場してもらう
男性の中に、娘の同級生のお父さんでもあり
私の小学・中学の一つ下の後輩の男性が出場して
くれていました。

私達の町が優勝をして
みんなで打ち上げに行き 後輩と、隣の席になり
久しぶりに、過去の話しで盛り上がりました。

離婚の話し中ではあっても、私は、すでに
結婚指輪💍は、外していました。
後輩がそれに気づき

後輩・なんでお前結婚指輪してないんや?
私・もううまくいってないから離婚の話し合い中
後輩・俺に言ってみ。なんでも聞いたるから
私・じゃあ聞いてもらおうかな。

そう言って一緒に帰りました。
後輩の家は、私の家の前を通って帰るのです。
ちなみに、後輩は、奥さんが長期の療養中で
子ども達は、後輩の実家暮らし。
彼は一人でした。

私の家の前に着いた時
私・やっぱり話しはもういいわ 帰るわ

そう言って家に入ろうとした時
後輩は、私の腕を引っ張ってぎゅっとハグしてくれたのです。
小さい頃には、抱っこされてたはずですが
私の記憶の中で抱きしめられた記憶がない!

だから そのハグは、人の体温を感じられる
温かく安心出来る感覚でした。

私・やっぱり 話し聞いてもらおうかな!
後輩・ええよ。
そう言ってくれ、後輩の家に行きました。

なぜ、私が話すのをやめて帰ろうとしたか
それは、もし、他の誰かに、夫から暴力を
振るわれてると言った時

あなたが悪いことしたから殴られたんちがう

そう言われてしまったら、その当時の私には

死ね!

に匹敵する言葉だったからです。
かろうじて、生きていた私には。
その言葉をかけられる事が怖くて怖くて
だからこそ、誰にも言えない
そう思っていたのです。

でも、後輩のハグは、
この人ならわかってくれるかもしれない
そう思わせてくれる彼の温かさを感じたのです。
そんなわずかな期待の中で彼に話そうと
思ったんです。

家に入り 向かい合ってお互い正座をし

後輩・ええよ なんでも言ってみ
私・年子を生んでから夫からの暴力が始まって
       きっと、私にも悪い所があって
後輩・もうそれ以上言わんでええよ

           お前は一緒懸命生きてきたんやな!
           
そう言われた時 初めて顔を上げて後輩の顔を
まともに見ました。

私は、一生懸命に生きてきた。
なのに、夫には、殴られる
母には、あんたがなんか悪いことしたから
殴られるんちゃう と言われる。
姉からは、離婚するなんて、あんたみたいな
母親をもった三人の娘は、可愛そうやな
と言われる。

私は、ただ一生懸命生きてきただけやのにって。

一番近くにいる身内には、かけてもらえなかった
この言葉を、後輩は、ものの数秒私の話しを
聞いただけで言ってくれました。

私は、あまりにも辛かったから感情を
全て無くしていて、怒りも辛さも悲しさも
楽しさも嬉しさも何にも感じない廃人状態
だったんです。

でも、後輩の言葉を聞いて
私の氷ついたカチカチの心にスポイドで
お湯が一滴💧垂らされたみたいに
ジワーと心が溶け出して、私は子どものように
嗚咽しながらわんわん泣きました。

涙すら出なかった私が泣けたのです。
この時、やっと心が動き出したんだと感じる事が出来た瞬間でもありました。

後輩は、自分の頭と私の頭をくっつけて
俺も頑張るからお前も頑張れ!俺はここに居る
頑張っても頑張っても、そんでも、もう
どうにもならんようになった時は
最後に俺を頼れ!
そん時は、俺がどないでもしたる!

そう言って お弁当屋さんのチラシの裏に
電話番号を書いて持たせてくれました。

放心状態になりながらも、そのチラシを握り
しめて、帰りました。

一見 他の人から見たら ゴミみたいに見える
お弁当屋さんのチラシかもしれない。
でも、当時の私には、そのチラシは、宝物
だったんです。

あの時、後輩のハグと言葉とチラシがなかったら
私は、多分 自殺衝動に打ち勝つ事は出来ず
現在、この世には居なかったと思います。

私が 何を言いたいか。
それは、その人が大切にしている物や
思いは、目には見えない事が多いという事
です。

私は、この体験を通して、娘にも
この物に、思い入れは、ない?
大切な物ではない?

そう必ず聞くようになったんです。

人の目には、ゴミのように見えても
本人にとっては、大切な宝物かもしれない
という事を。
私は、気づく事が出来たような気がします。

そして、私は、よくハグをします。
老若男女問わず。
そのハグは、人としての温かさを伝えたいからです。
目には、見えない温かさや優しさを
感じてもらいたいからなんです。

私が後輩からもらったように。


今日は、長かったブログ
最後までお付き合いくださいまして
ありがとうございました

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