3月末、実家で一人暮らしの母と「連絡がとれない」と方々から連絡が来た。
直感で「おかしい…」と思った私はすぐ契約していた警備会社に自宅に入ってもらった。
…やはり暗くなった自宅で倒れていた。
救急車で搬送してもらった。
どのくらい倒れていたか…
しばらくして実家に入ってわかったのは、カーテンが閉まったままだったことや、ゴミの日に出そうとした中身の入ったゴミ袋は口を閉めていなかった。前日にいつも母がやる行動を思い出した。
…たぶん前日の夜に倒れたかな…3月末の実家地方は夜はまだまだ氷点下になることが多い。
幸いにも(翌々日には顔を見に帰省の予定だった)私の布団を出そうとしてか、布団に囲まれて倒れていたので、少しは暖をとれていただろうか?
「一晩寝ると高齢者の筋力はガクンと落ちる」医療者であれば誰でも知っている。やはり、入院後は立つこともままならなくなっていた。
全国的にコロナの影響で全ての病院は面会禁止。加えて地方はさらに厳格だ。
院内建物の「県外者の出入り禁止」が多い。首都圏に住む私達には受け入れがたいほど厳しい。
会えない、話が聞けない、医師から合併症の説明を伝えられ、なお歯痒い。
できることを想像、駆使し、レターパックで励ましの手紙・ドライブで撮った親子写真・壊れかけた携帯電話がつながるようダメ元で送った充電器。看護師さんに歩けない母にかわって充電をお願いして。
入院から2週間後、ようやくつながった母との電話。入院後のせん妄状態から抜け出して話声は穏やかでしっかりしていた。
かつて私の進路を決める時、実家地方から出したくない父を説得し、首都圏への進学を後押しして、私の自由な選択を尊重し歩ませてくれた母。
そんな母だったから、実家地方を離れたくない意思を尊重してきたけど。
身体や思考の衰え、老いは誰にでもやってくるもので、いつかはお別れもある。
看護職という仕事柄、たくさんの人生の看取りをし、たくさんの家族とお会いしてきた。
後悔があるかないかは、「やりきったかどうか」にも大きく関わってくる。
お母さん、まだまだ応援するよ。。
@387clmtk