本当に繋がったよ。

空から・・・。ほら。



とりあえず、poochaにとっては「空から初ブログ記事」です!!やった!!ってことで、



早速シャンパンでお祝いしています。アミューズは「栗」です。

今日の仕事も終わり、明日は出発です。今回の旅では一つはじめての体験を試す予定です。それはANA@AIR。 国際線の機内からインターネットを使えるサービスです。ANAでは、成田⇔NYのみ利用可、それ以外にもヨーロッパ便などでも可能な便はありますがまだテスト的な運用のようです。


私のフライトは日本時間で21日11:00~23:30ごろまで。この時間でぜひブログをUPしたいと思っています。(うき!うき!)基本的には無線LANでのサービスですが、イーサネットでも使えるらしいので、LANケーブルも持参します。


空の上で何かを考える。それを伝える。ってなんだか夢みたい。どんな記事が書けるか、私にも未知数ですが、なんとなく嬉しいです。旅の楽しみがもう一つ増えたみたいで・・・・。


ダーくんもNY私の滞在中のスケジュール構築中、きっと朝早く起きて空の上にメールが届くかを試してくれるでしょう。楽しみだぁ~!



土曜の朝、三連休の一日目。ちゃんと有意義な三日間にしようと思いブランチは家ごはんしました。



poochaの大好物ハム&エッグのトーストサンド。(私にしては朝からえらい!)

私のこだわりは固ゆでの卵とパセリのみじん切りの組み合わせ。長いお付き合い。


先週記事にした、この週末したかったことのうち

①美容院で髪を整える。これは実行しました。秋に向けて少し抑えたカラーにしてしっとり感がでました。ロンゲには変わりありませんが、少々カッティングを変えてもらって、前から見るとすっきりコンパクト、後ろから見ると巻き毛のはゴージャス感ってことで4ヶ月間の怠慢を一気に解消!

②ネイルサロンは挫折、③も焼け石に水!(とほほ。)そして⑤のNY行きの荷造り。これははぼちぼち。ダーくんのリクエストに沿って持っていくべきものだいたいそろえました。後は私の身の回りのものなので、明日の夜または明後日の出発間際でOK.


・・・で。④ですが、

④どっかでのんびり

三連休だから、一日くらいは小旅行に出よう・・・。温泉?それともシティホテル?

の後のほうを選択しました。


珍しくもなんともないANA HOTEL TOKYOにステイです。

改装してからのステイは初めて。



普段は夜食事に来るばっかりなので明るい時間に見る風景は新鮮でした。

こんな普段から来る機会の多いホテルに何でわざわざ・・・。お思いでしょう?実はANAさんからのプレゼントで、無料宿泊の権利を頂いていたことを思い出したからなんです。


無料のお部屋ですから、高層階というわけにはいきませんでしたが、ビルの間からまん丸なお月様を眺めることができました。これもまた風情です。



ディナーには最上階(37階)にある鉄板焼きのお店「赤坂」でちょっと贅沢に前菜にはクルュッグ&キャビア。鉄板焼きはあわびとフィレをお願いしました。とても素敵なシェフとフロア係りの方に担当していただいて、大満足。



あわびはちょっとこぶりでしたが、一人で頂くにはこれでも多いです。

シェフさんとお話をしている中で教えてもらったのですがここのホテルではシェフさんたちはあらゆるお店で勤務することがあるのだそうです。鉄板焼きならそれ専門だとばかり思っていましたが、違うんですね。もっとも経験の少ない方で12年。他の方は20年選手が主力だそうです。この世界も料理の腕からサービスマナー、はたまた立ち居振る舞いなどまで、厳しく訓練を積んで漸く一人前になれるという大変厳しい世界です。

好きだからできる、好きだからこそ続けられるのでしょうね。


それにちょっと面白いこともありましたよ。私の席には他に二組のカップルがいらしたのですが、一組はどうみても怪しいお金持ちのおっさんとわかいおねえちゃん。もう一組は気難しそうなあまり笑顔のないお二人。それぞれ帰るときにシェフがご挨拶するのですが、二組ともあっさりした挨拶、なぜか私にはそれぞれのお料理について感想を求めてくださったり、さらには飲みさしの「サンペルグリーノ&カットしたライム」をお部屋でお飲みになりますか?と紙袋に用意してくれました。


月もですが、サービスにも恵まれて充実したステイを楽しむことができました。


さて、今夜から仕事モード。これから羽田空港に向かいます。今夜のうちに出張先に入り、明日とんぼ返りしたら、明後日の朝には長いこと迷っていたNYへ出発です。いよいよもう少しになりました。

今回のNY行きでは、主人のストレスや不安をできるだけ解消してあげることと、それに今私の頭の中にあるいろいろな課題を共有してきたいと思っています。もちろん彼の負担にならないように注意しながらですけど。


おじいちゃんおばあちゃんに育てられました。子供の頃、近くにいてくれたのはおじいちゃんとおばあちゃんでした。毎日おばあちゃんが髪を整えるのを手伝い、おじいちゃんと一緒にお相撲や野球の観戦をする日々でした。


おじいちゃんとは、よく海に行きました。船外機つきのボートで海に出て、おじいちゃんが釣りをしている間、ボートの周りを泳いでいました。水深20メーターくらいのところをもぐったり、おじいちゃんの釣りを邪魔したりして・・・・。あんまりおじいちゃんが私をかまってくれないとボートの下にもぐって私がいないことに気づくまで息を止めていましたっけ。


おばあちゃんとはよく喧嘩しました。しっかりもののおばあちゃんは、自慢話が多くてうるさい存在でした。私はそんなおばあちゃんの話にいちいちむきになってしまって、戦後厳しい時に生活を支えるためにこんな方便まで使ったんだよって教えてくれるおばあちゃんに、「嘘も方便」と言ったり「嘘をついてはいけない」とも言うけど、いったいどっちなのよ!はっきりしてよ!矛盾してるじゃん!って突っ込む幼稚園生でした。


むしゃくしゃして、このころ初めて二日酔いも経験しました。ん?酔っ払ってふらふらになり、ふすまに激突!あれこれ破壊してからあっけなくダウン!翌日は幼稚園いけませんでした。(これマジです)


二人とも今は天国です。先におばあちゃんがなくなり、おじいちゃんはその3年後になくなりました。


人の死っていうのがどんなことなのかを教えてくれたのもおじいちゃんおばあちゃんでした。


おばあちゃんが脳軟化になって、おかしなことばかり言うようになって、喧嘩のし甲斐がなくなってしまったのは大学生のころでした。容態が悪くなって叔母や維持が集まったときは元気で、彼らが皆さって、おじいちゃん親父、母、姉、私という本当の家族水入らずになった途端、おばあちゃんは急変して笑いながら去っていきました。もうなくなっているとわかっていながら主治医に電話をし、道路に出て、「早く来て!」って号泣し叫びながら道路に這いつくばってお医者さんを待ったことを今も鮮明に覚えています。


おじいちゃんのときはもっと深刻でした。おばあちゃんのいなくなった世界でおじいちゃんはどんどんボケていきました。母が日々面倒を見ていたので、すっかり母を自分の妻と勘違いして、私にも「お前なあ、俺の息子はひどいやつなんだよ。俺の女を寝取ったんだよ。」と、もう完全に母のことを自分の妻と間違えていて、いました。そのころ私は大学4年生でしたので、多少はボケのこともわかっていたので、母には「おじいちゃんが生きているうちは、おじいちゃんの奥さんしてあげてよ。」って馬鹿なことを言っていました。気丈な母を泣かせたのはこれが初めてでした。


おじいちゃん。おばあちゃん。人間であることの大事さを教えてくれたってこと今更ながらに感謝します。

私もこれから老いに向かうけど、じいちゃん、ばあちゃんみたいに生きていくこと、人であることの大切さを誰かに残せるよう、生きるよ。裏切らないよ。

行くで!(なんでや?関西弁?)


あはは、大騒ぎしすぎですよね、たかがNY一週間の旅行なのに・・・。でも中々行く決断ができなくて、情けないことにやっと実現することを確定できたのです。(正直言って、ほっ!としてます。)昨日ダーくんにも「行くよ!」ってメールしました。ダー君は早速シャンパン購入、テーブルクロスの選択(白いクロスはpoochaには合わないかなあなんて言ってブラックのクロスに変更するらしいです。(私は潔白さがなく、ブラックなイメージなのか?)


とりあえずダー君へのお土産の一つは「YK35大吟醸北雪」貴重品!断酒しているダー君にはどうかなあと思ったのですが、不整脈の件を相談に行ったハンサムな(関係ないだろ!)お医者さまは、不整脈は神経質になりすぎても発生するんです。poochaさんみたいに飲んでた方が(なんで知ってる?)かえって良い場合もあるんですよ。って。(ひやひや!)


これから具体的な準備を進めますが、うちには動物がいないので、用意も簡単です!でも・・・。YONYONさんの記事を見て、鹿くんの里親を志望しています。(駄目かなあ?)だって、生活のスタイルから動物は飼えないけど実は私大好きなんですもの。


今我が家にいるのは、

①ねむねむくん。


②いけいけ嬢


この子達と暮らしています。って、いずれもぬいぐるみ!

ねむねむ君は時折会社にも連れて行きます。このこを抱いて歩いていると殆どの人が本物の猫ちゃんだと思うらしく「良い子ねえ!」なんてなでなでしてくれます。(^ー^ゝ


いけいけ嬢はあまりとりえがないんですが、あたしって毛並みいいでしょう?いけてるでしょう?てきなオーラを自覚してるらしいです。(ぬいぐるみだってば(^v^ゞ)


いつもは籠の中で仲良く寝ています。



ようねとる。(?)

鹿くん着てくれるかなあ?


さあて、あと4日。準備します!


生きてことってなんだろう?

毎日生活しているってなんだろう?


ふとそんなことを考えます。


勝ちたくて頑張ってるんじゃない。

幸せを増やしたいの。


もしかして私は勝ち組?そうかなあ。

じゃあ、私の周りに負け組みを作ってしまっているの?

そうだとしたら勝ちたくはない。


幸せであること、不幸から幸福へと自分を持ち上げること。

これは人として生きる原点だと思う。そして義務。


幸せと勝ち、不満と負け、

この違う概念が同意義になってしまいそうな、今。


いったい何が勝ちで、何が負けなんだろう・・・。




朝から何を考えてるんでしょうね。私。

今朝はちょっと暗いです。

今週末はどう過ごそうか?そろそろ考えなくちゃ。

①美容院に行く!

先日父に会いに行ったら、「poocha,白髪目立つようになったなあ。お肌はつやつやなのになあ」ってしみじみいわれてしまいました。とほほ。思わずわたし、「お肌は簡単につやつやにならないけど、髪なら美容院に行けばちょちょいっと簡単にきれいになるもぉーーん!」なんて空しい反撃。親父に言われるなんてそろそろ限界。もう何が何でも行かねば!。

②ネイルサロンに行く!

こっちも同じ、最近生爪・・・。ううう。駄目ジャン!

③お部屋の片付け!

出張続きで、大量のDMや送られてきたカタログなどが山積!大事なDMとそうでないものさえ仕分けできず・・・。何とかせねば!

④どっかでのんびり

三連休だから、一日くらいは小旅行に出よう・・・。温泉?それともシティホテル?これから企画します。


そして・・・・。

⑤NY行きの荷造り!!!!

じゃーーーん!いよいよ行くぞ。いひひ!実はちょっとした事情で行く必要も高まったので、漸く実行に向かいました。来週旅立ちます!


こんなお誘いのメールが・・・・。


Hope you are well and enjoying the "cooler" weather.

I wanted to let you know we are having our Goyard Custom
Event on Thursday, 15th of September through Saturday, 17th
of September. Ms. Jeanne Signoles from the owning family of
Goyard will be here meeting and accepting special requests
from our customers. We would love to have you attend.

Please let me know if you can!

Take care.

Best Regards,

NYバーニーズの仲良しスタッフさんからのメール。ゴヤールのイベントだって。

うーーむ。行きたいけど、ちょっと間に合わないぞ!もう一週間あとならなあ。


ということで漸く行きます。でもまだダーくんには言っていません。

そろそろ伝えなくちゃ。


そのダーくんは私のチキンに対抗して、「うさぎさん」料理成功したらしいです。笑。



卵のソースが良かったんですって。教えれもらって来ようっと。



ブログを利用されている方はどんどん増えていますが、その利用目的や活用の仕方についてもそれぞれの考えで決められているような気がします。一部の皆さんはアクセスを集めることが目的のように見えますし、中にはアフェリエイとなどで収入を得ることを願っている方もいらっしゃるかもしれません。また、見知らぬ方と知り合いになってお友達を作れたら・・・。とお考えの方も、また単純に自分の考えをぶつけてみて、いろいろな反応をもらって何かを得たいと思っている方だっていらっしゃると思います。


私の場合、どれかと言えば、一つはブログっていうものそのものの価値を感じてみたいということ、もう一つは、自分の生活、自分の考えなどを整理して記録しておきたいなという面と、そしていろいろな方と交流することによってきっと得るものが大きいだろう。ということでしょうか・(たいして考えもせずやっているのかも)


ブログをはじめて半年強、いろいろなテーマで記事を書いてきました。おしゃれについて、日常起こった思いがけない出来事についてや、心の中をよぎっている思いを語ることなどなど…。


そんな中、この度、ご法度かもしれないくらいに勝手な【お願い】記事を掲載しました。私が勝手に考えていることを綴り、皆さまに「ご意見頂戴!」って無理なお願いをしたのです。皆様に叱られないか、呆れられないかという思いもありましたが、本当に一緒に考えて下さる方が一人でもいらしたら・・・。という思いでした。でも、私の思い以上に沢山の皆さまがご一緒に真剣に考えてくださって、それぞれのご意見を持って参加してくださくことができました。


堅い話で皆さんがしらけてしまうのではないかとか、せっかく楽しい交流の場なのに議論をしかけているように誤解されないか、とか考えましたが、そういう思いの方もいらっしゃったでしょうが、ご理解くださる方も多く、大変に嬉しかったです。そしてブログのもっと建設的な活かし方の可能性を感じました。


そう思わせてくださった皆さまに心から感謝しています。本当にありがとうございます。


これからも、笑える話題からそれぞれを高めあえる可能性を秘めた話題まで、少しでも皆さまと共感し合える記事を書けたらと思っています。どうぞ引き続きよろしくお願い申し上げます。



選挙結果の報道が続々。投票が終わって一時間なのに当選確実が続々と出るなんて良くわからないですね。いつも不思議に思ってしまいます。それにしても初めから「自民党圧勝」?もういいや美味しいご飯でも食べましょう。


雷雨の中投票にいった後、近所のクイーンズイセタンに行き、たまには家ごはんするかっ!ってことでさくさくディナーの準備しました。


料理は好きな私なんですが、どうも一緒に食べてくれる人がいないとその気にならないのです。自分のために料理してもなんだか楽しくない・・・。ううう。そして私は料理をしない女になりつつあるわけです。

今日の料理はちょっと自分の歴史考えて、思い出深いものにしようと考えました。


メニューはチキンの白ワイン煮poocha風。これは高校生のときに発案し、大学時代叔母の家に居候していた際、居候させて頂いていることへのせめてものお礼にと夕食の準備の当番を引き受けていたときに、文句なしに叔母さま一家によろこんでいただけた一皿です。私を可愛がってくれた叔母さまも今は天国に行っちゃいました。家族もバラバラになって叔父さま一人寂しく暮らしています。いつも喜んで下さった叔父さまと一緒に食べている気分になりたくてこれにしたんです。



とても簡単ですが、侮れない味覚ですよ。


材料

鶏のもも肉 2人分で400グラム (できるだけ風味のある力強いお肉を選びます。)

にんにく   大き目のひとかけ 

しょうが   大き目のひとかけ

白ワイン   1本。甘味の弱いものが良いです。シャルドネが良いかも。

パセリ    少々

小麦粉   少々

ミネラル塩 少々

ホワイトペッパー(細かいもの) 少々

サラダオイル 少々

バター     少々


これしかいりません。


まず、鶏肉を洗い、水気をとってから白ワインに20~30分ほど漬けます。

その間ににんにく、しょうが、パセリをみじん切りにします。

にんにく、しょうがは1~2ミリ角くらいが丁度良いです。

パセリはお好きな細かさでどーぞ。あまり大きいと口当たりが悪くなるので注意、

漬けていた鶏肉のワインをふきんでふき取り塩こしょうします。

お塩はミネラル塩が良いかも。ペッパーはホワイト!細かくグラインドしてあるものの方がいいです。

塩コショウした鶏肉に小麦粉をまぶします。満遍なくまぶすには大きめのビニール袋に大目に小麦粉をいれそこに鶏肉をいれ降ったり揉んだりして馴染ませます。

フライパンを強火で熱し、煙ができるくらいに熱くなったらサラダオイル(大匙1.5くらい)を入れます。

すぐにオイルも熱くなるので、注意しながらにんにくのみじん切りを放り込みます。

香りが出てきたら、ここにしょうがのみじん切りもいれちゃいます。

それぞれが焦げないぎりぎりまで熱して焦げそうになる直前に鶏肉を入れます。

できるだけ皮のほうを下にして、全体に表面に火が通るまで炒めます。

そうしたら、白ワインをどぼどぼ入れます。1本まるまるで大丈夫です。(多いぞ!)

灰汁をとって火を中火にします。

後は待つだけ。

鶏肉のゼラチンの効果もあってこれだけでとろんとしたできあがりになります。

出汁も何もいりません。塩コショウもお肉から自然に染み出たのもだけで十分です。

火と止めてお皿に盛り、パセリを少々。


追記:あ!忘れてたので追加しますね。

火を止めたらバターをちょいと入れます。できれば薫り高い「エシレ」がお勧めです。


これだけれとろとろで風味抜群のチキン料理の出来上がりです。


そうそう、写真ですが、フラッシュなしのもの掲載してみました。暗くてまずそうですかね。

私のポリシーなんですけど、蛍光灯みたいな色温度の高い光は食事には大敵。

だからあえて暗くてぼんやりしてますけどこんな写真にしてみました。


ボナペティ!(でも一人じゃあ詰まんないよー。←超わがまま。)

ワインにチキン。でもお友達が選挙報道じゃなあ。(ぼそっ。)

2001年9月11日。この日は私個人にとっても、決して忘れられない日になりました。


実は丁度このとき自分自身にとってとても大きな転機を迎えていたのです。それは2001年9月30日をもって、長年努めた会社を退社するこという決意でした。


7月上旬にお世話になった常務にその意思を伝えていました。常務には絶対に他の人に口外するなとキツク言われ、その後、社長、常務、私の三人だけで何度か話し合いをしていました。常務は私の性格をよくご存知でしたので、私の意志が決して覆せないことを知っていましたが、ある意味で会社の象徴的だった私の退社が社内外にどんな影響を与えるかを大変心配さrていましたし、また、私という仕事のパートナーであり、信頼し合える人を失うことを受け入れるのにはそれなりの時間が必要でした。


丁度数日前に社長からお許しが出て(って私の方に決定権があることなのでお許しなんていかしいのですが、何せ会社にとっては改革の象徴でもあり、女性登用の先頭に立ち続けてきただけに、周囲への影響を私自身も心配せざるを得ない心理でした。)その日は新しく一緒に仕事をすると決めていた社長に退社日確定の報告に行く日だったのです。


朝から台風の影響で大嵐の状態。午前出かける前に、ベランダの観葉植物が飛ばないように紐で縛り、ずぶぬれになって作業をしたあと、着替えて出かけましたが、タクシーさえつかまらない状態。漸く苦労して車を広い約束の場所に向かいましたが、酷い嵐でしたので、迎賓館玄関前の大木が倒れ、マスコミが集まっていたりで大混雑。かなり遅刻してなんとか着いたという状況でした。


実は新しい会社への入社が決定する日であったと共に、両親が大好きな大相撲9月場所を観戦する約束もしていたのです。幸い、午後には天候も回復し、私はびしょぬれのままの姿で両国国技館に向かいました。


更には翌日9月12日朝には東京を発ちNYに向かう予定でした。NY~ミラノ~パリのコレクションを回る、最後の海外出張です。既に10日に私の部下を先に送り込んで、12日には他の部下3名を伴う予定でした。


大相撲の後、自宅に帰り、出張の荷作り・・・。丁度点検が終わりスーツケースを閉めているところにあの事件が起きたのです。目の前のテレビ画面を見て、一瞬事実を理解できず呆然としていました。なんてこと!!


NYにはもちろん友達も多いですけど、それ以上に2日前に送り出した優秀な部下がいますし、それだけではなく主人もいるんですもの。丁度この年の5月から主人はNY暮らしを始めていました。まだ不慣れな生活のなかで私が出張でNYに行くと言っていたので喜んでワインを買いはしゃいでいました。


でも悪夢のような事件は現実になっている。漸くそれを理解できたのはその日会っていた新しいパートナーとなる女性社長からの電話でした。


「poochaは明日NYだったわよね。いい?絶対に言っちゃ駄目よ。貴方のことだから部下がいるNYに何としても行かなくちゃって思うでしょうけど、アメリカにしてみれば、両親をなくした日にビジネスをしに来る無神経非常識な人間としか見えないから。絶対に駄目。すぐに社長に言って、明日以降の旅程を全て止めるべきよ。」


この電話でやっと冷静になり、早速社長に連絡し出張中止を進言し決定。社の連絡網で関連する社員への連絡を指示しました。


そして、次にはNYにいる部下、主人と連絡を取る試みを始めました。2人ともマンハッタンにいることは間違いないので不安で不安で仕方なかったのです。まずはメール。ホテルへの電話などもちろんつながりませんので部下の彼女も主人も持っている個人用メールに頼るしかありません。

いったいどういう状況になっているのか、何もわかりません。そんな状態でメールの返事を待ちましたが、全然音沙汰なしです。


その頃、私はMSNのチャットでバーチャルなお友達との交流を楽しんでいました。その中にNY郊外に住む友人がいることを思い出しこの人ならマンハッタンから離れて暮らしているので何か情報をもらえるのではないかと思い、チャットに参加してみました。でも話したかった彼女はログインしていません。チャットの仲間も私の主人がNYにいることを知っていますので皆して心配してくれて、励ましてくれていましたが、事態がどんどん深刻になっている報道に私の動揺はどんどん膨らんでいくばかりでした。


事件の報道から3時間半以上経った日本時間で未明2時過ぎ、漸く主人からメールが帰ってきました。無事に帰宅してくれたんです。


メールをもらってから2人で繋いでいたMSNメッセンジャーを使ってずっと話し合っていました。大変なパニックの状態、交通手段が何もなくなって徒歩で帰ってきたこと、橋と言う橋が全てセキュリティのために封鎖され、マンハッタン島から出ることができず橋の袂で延々待たされたこと。などなどから、これから始まるだろう戦争のこと、世界平和や私たちのこれからの生き方まで、話は尽きず、気がついたときには朝を迎えていました。


丁度東京の空が明るくなってきた頃、もう一人心配していた部下からもメールが来ました。よかった。本当によかった。


長い長い私の911はこうして終わりました。


一昨日父を尋ねたときもこの日の話になりました。「あの日は本当にpoochaにとって大変な日だったね。」辛い一日でしたが、私にとってはある意味でこれからの新しい自分に大きく舵をとり、主人、両親、そして新しいパートナーとの繋がりが一気に深まった日でした。


それぞれの911.皆さんにもこの日の深い思い出があることでしょうね。