これは私の記録と思い出・・・・

 

 

我が家の長男が生まれたのが2024年4月23日
そしてお別れをしたのが2024年4月27日。今日で長男がお空に戻っていってから1か月が経った。
1か月前の今日は天気がいまいちでだったな~

妊娠がわかったのが2024年1月4日。出血はあるけど生理がこなくて体調もあまりよくないので産婦人科へ。
「妊娠5週目ですね」と・・。信じがたかったけど嬉しくてスキップして家に帰れそうなくらい気持ちが高まっていた私。
翌々日には熱海旅行が控えていたので旦那に内緒にするわけにもいかず翌日にサプライズで報告ニコニコ
熱海でははきづわりでせっかくの旅行なのにあまり食べられず・・食べても吐いて・・の繰り返し(笑)この時が1番つわりがつらかったな~ネガティブ
 

 

 

 

仕事は休むわけにもいかなくて毎日出勤1月末になっても出血が止まらず病院へ。

切迫気味であることから1か月休職。。毎日不安で9週の壁を越えて、安静に過ごす日々。
なんとか乗り越えられて仕事復帰!毎日体を動かす仕事だからしんどかった・・。昼食もあまり食べられなくてとにもかくにも1日を過ごすことで精いっぱいだった。
通院しながら、サポートしてもらいながら過ごすも出血は完全に止まることはなく日々は過ぎ、マタニティーマークを市役所にもらいに行き、エコーでは元気に動いてるbabyが見られて嬉しい日々だった音符家族にも友達にも報告して不安ながらも妊娠生活を楽しんでいた。

2024年4月2日
出血の量が増えてきて腹痛もある為病院へ。羊水が漏れてるとのことで即入院生活に。。。アセアセ
感染を防ぐために抗生剤を点滴、内服をして安静に過ごす。点滴や採血の時間が1番苦痛で、いつもあざだらけ。
看護師泣かせの血管らしい真顔
治療をしても、結果は変わらず(羊水は漏れている)でも、babyには支障はなく、元気におなかの中で動いてくれていたことだけが心の支えだった。
 

入院の日々は続き2024年4月20日から腹痛が強くなってきたが、胎動と言われ我慢して過ごすも翌日からどんどん痛さは増していく。4月22日、恐れていた感染が始まってしまってもう止めることはできないと告げられた時の絶望。涙が止まらなかった。子宮内感染を起こしていたとのことでそのまま出産へ。4月23日長男誕生。産声を聞けず抱っこもできずそのまま長男はお空に戻っていってしまった。


私が経験したのは前期破水、切迫流産、子宮内感染・・・結果は死産。
膜が閉じてくれる奇跡が起きてくれることを強く願っていたけど叶わなかった。授かれたからって必ず元気な赤ちゃんを出産できるわけじゃないこと。私自身が今を生きれていること自体が奇跡であること。

生と死を一気に味わうことになるとは想像にもしてなかった。言葉にもできないくらいつらくて友達が慰めてくれる言葉も入ってこなくて泣くだけしかできない日々。母親と旦那に、支えてもらいながら今を過ごせていることに感謝して、前を向いて生きてくしかないんだね。

1か月たっても気持ちは悲しいし、電車には1人で乗れないし、赤ちゃんや妊婦さんを見るのがとても辛くて下ばかり向いてばかり、乗り越え方がわからない。どうやって乗り越えてるんだろう。

朝から涙が止まらないけど、つらい、悔しい思いをしたのは私だけじゃない。
長男に恥ぬような生き方をしていきたいと思う。1か月で気持ちが落ち着いたかといえばそんなことは全くないけど、下をむいてばかりなのも、どうなのかな?と考えどんなに気持ちがつらかろうが明日は来るわけで現実とは向き合わなければいけないなら少しづつでも進まなければ。決心した今日ブログに残すことに決めた。

妊娠、出産は幸せな事ばかりじゃない。授かることさえできないこともあるし大きなリスクも伴う。授からせてもらえた、妊娠生活を経験できた、奇跡を味わわせてもらえたことに感謝してる。

生きられなかった、生きていてほしかった、一緒に生きていたかった。叶わなかったけど、お空で元気に過ごせてると思う。私たちのところに来てくれてありがとう。

旦那は私の前では涙を見せることなく、仕事を頑張ってくれて、ありがとう。