地震から一週間がすぎ、水道はまだ復旧しませんが、
こちらも少し落ち着きが出てきました。
地震の時のこと、振り返って書いておきたいと思います。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
3月11日、午後2時46分
ぽんずはコタツに座ってお乳をあげてました。
最初はカタカタと小さく揺れたので、
「あ、地震だ」と思って、
震度を見ようとテレビをつけた所、
緊急速報を告げる「ピロリロリ~ン」の音。
え?と思ったところでゴゴゴという地鳴りと共に
一気に揺れが大きくなって、大きく左右に揺さぶられ、
立ち上がれなくなりました。
とっさに3ヶ月の息子、きんちゃんをコタツに押し込み、
(テーブルはそばに食器棚があるので、危険と判断)
その上に覆いかぶさりながら、地震が収まるのを
待つしかありませんでした。
あんなに重いテレビや食器棚等の家具が、
揺れによって軽々と動かされ、
今にも倒れそうにグラグラ揺れるのを
信じられない思いで見ていました。
さらに家がギー、ミシミシッと聞いた事のない音を
たてています。
揺れが続く中で、「ブツッ」とテレビが切れて、停電。
何かが落ちる「ガシャーン!」とか「ドン!」という音が
絶えずあちこちから聞こえて、うるさいくらいです。
「お願い!早く止まって~!」と何度も願いながらも
なかなか揺れはやまず、
もうどれくらい続いたのか分からなくなった頃、
ようやく止まりました。
きんちゃんを見ると「ほけ~」と不思議そうな顔。
とりあえず、きんちゃんも私も怪我をしてない事に
一安心。
とりあえず、きんちゃんのお出掛けバックと
お財布をひっつかんで玄関を開け、外を確認しましたが、
まわりの家からは人が出てきていません。
大きい地震過ぎて、逆に誰も出てこないのかな・・・。
旦那ちゃまの安否を確認しようにも、電話が不通。
停電でテレビも見れず、ラジオも持ってない。
地域の緊急放送も特に無かったので、情報が入ってこなくて、
本当にどうしようかと考え込んでしまいました。
普通はこれくらいの規模の地震があった場合は
基本は『避難』なのでしょうが、
外は小雪が舞っているし、一帯が停電なので、
体育館のような場所は赤ちゃんには寒いはず。
なにより去年8月に引っ越してきて土地勘がないので、
避難所がどこなのかも正確には分かりませんでした。
(近くの小学校なのは確認していましたが、場所がおぼろげで・・・)
それに、3ヶ月になったばかりのきんちゃんは
まだ一つも予防接種が済んでない・・・。
集団で一つの場所での生活は病気が蔓延しやすいけど、
この地震ではきっと病院は満杯だろうし、
ここで重い病気にかかる方が怖いかも。
何より、泣いたら他の人の迷惑になるしなぁ・・・。
なので、家を一通り確認し、壁にヒビなどは入ってなかったので、
とりあえず家にいることにしました。
お家にいると決めると、だんだん旦那ちゃまが心配になってきました。
あれだけの規模の地震だから、棚が倒れてきたりして
怪我してないかな?それに津波とか心配・・・。
でも何度かけても携帯は繋がらず、どうしようもありません。
しかも次々と大きい地震がくるので、とにかく我が家で
きんちゃんの安全を確保する事に専念しました。
まず水が止まるだろうからと、ヤカンや鍋に飲み水の確保。
水道に残っている水を汲むと、案の定すぐでなくなりました。
これで、停電、断水でライフラインは完全に遮断。
(我が家はオール電化なので、ガスは関係なし。)
予想通りとはいえ、厳しい状況・・・。
次に停電の為、夜に向けての「灯り」と「暖を取るもの」の確保。
懐中電灯とロウソク類を家の中から見つけ出し、
ホッカイロをあるだけかき集めました。
さらに寝床。いつもは寝室は二階の一番奥なので、
布団を一階の一番手前の和室に下ろしてきて、
窓を一箇所、鍵をあけておき
大きな揺れがきたときに逃げられるようにしました。
慌しく準備をしていると、だんだんと日が暮れてきて、
どんどん部屋の温度が下がってきました。
きんちゃんを入れていたコタツも冷めてきてしまったので、
きんちゃんが持っている服で、一番温かい服に着替えさせ、
更に外出時に着ている、全身を包める外套を着せ、
その上から私が抱っこすることで保温することに。
余震も続いているし、抱っこしていた方が逃げやすいしね。
思いつく限りの準備をした所で、
急に「携帯のワンセグTVなら見れるかも!」と
思いつきました。
携帯の電池が切れると、
いざという時の連絡が出来なくなるので、
ほんのちょっとだけと決めて、
早速、携帯電話で試してみると、
あ!映った!(*'Д'*)オォー!
もっと早く気がつけばよかった!
これでようやく情報が得られる~!
という嬉しい気持ちは、一瞬で崩れ去りました。
そこには予想以上の惨状が映されていたから。
「日本史上最大震度M8.8」
「津波で宮城・岩手・福島壊滅」
センセーショナルな見出しと共に、地震や津波の映像が
携帯の小さな液晶に映し出されます。
アナウンサーの方が声高に被災状況を読み上げていて、
その事態の深刻さに愕然としました。
私は宮城沖を震源とした、
ごく局地的な地震だと思っていたのですが、
被害は東北から関東まで広域であること、
更に太平洋沖で大津波が押し寄せ、
壊滅的な地域があることを、
この時はじめて知りました。
「これは復旧に途方も無い時間がかかる・・・。
これから日本はどうなるのだろう。」
先行きが全く見えないことによる
どうしようもない絶望感が押し寄せます。
更に「仙台空港に津波が押し寄せる様子」が放送された時、
思わず、息を呑みました。
津波が仙台空港の中にどんどんと流れ込み、
易々と車やトラックを飲み込んでいく映像。
旦那ちゃまの職場は、仙台空港のすぐそばなのに・・・!
仙台空港が津波に襲われているのなら、
旦那ちゃまの職場も津波に襲われている事は明白でした。
思わずワンセグを切ると、
日没後の部屋は暗闇に包まれました。
ぽんずは、寝ているきんちゃんを
ぎゅっと抱きしめるしかありませんでした。
つづく
こちらも少し落ち着きが出てきました。
地震の時のこと、振り返って書いておきたいと思います。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
3月11日、午後2時46分
ぽんずはコタツに座ってお乳をあげてました。
最初はカタカタと小さく揺れたので、
「あ、地震だ」と思って、
震度を見ようとテレビをつけた所、
緊急速報を告げる「ピロリロリ~ン」の音。
え?と思ったところでゴゴゴという地鳴りと共に
一気に揺れが大きくなって、大きく左右に揺さぶられ、
立ち上がれなくなりました。
とっさに3ヶ月の息子、きんちゃんをコタツに押し込み、
(テーブルはそばに食器棚があるので、危険と判断)
その上に覆いかぶさりながら、地震が収まるのを
待つしかありませんでした。
あんなに重いテレビや食器棚等の家具が、
揺れによって軽々と動かされ、
今にも倒れそうにグラグラ揺れるのを
信じられない思いで見ていました。
さらに家がギー、ミシミシッと聞いた事のない音を
たてています。
揺れが続く中で、「ブツッ」とテレビが切れて、停電。
何かが落ちる「ガシャーン!」とか「ドン!」という音が
絶えずあちこちから聞こえて、うるさいくらいです。
「お願い!早く止まって~!」と何度も願いながらも
なかなか揺れはやまず、
もうどれくらい続いたのか分からなくなった頃、
ようやく止まりました。
きんちゃんを見ると「ほけ~」と不思議そうな顔。
とりあえず、きんちゃんも私も怪我をしてない事に
一安心。
とりあえず、きんちゃんのお出掛けバックと
お財布をひっつかんで玄関を開け、外を確認しましたが、
まわりの家からは人が出てきていません。
大きい地震過ぎて、逆に誰も出てこないのかな・・・。
旦那ちゃまの安否を確認しようにも、電話が不通。
停電でテレビも見れず、ラジオも持ってない。
地域の緊急放送も特に無かったので、情報が入ってこなくて、
本当にどうしようかと考え込んでしまいました。
普通はこれくらいの規模の地震があった場合は
基本は『避難』なのでしょうが、
外は小雪が舞っているし、一帯が停電なので、
体育館のような場所は赤ちゃんには寒いはず。
なにより去年8月に引っ越してきて土地勘がないので、
避難所がどこなのかも正確には分かりませんでした。
(近くの小学校なのは確認していましたが、場所がおぼろげで・・・)
それに、3ヶ月になったばかりのきんちゃんは
まだ一つも予防接種が済んでない・・・。
集団で一つの場所での生活は病気が蔓延しやすいけど、
この地震ではきっと病院は満杯だろうし、
ここで重い病気にかかる方が怖いかも。
何より、泣いたら他の人の迷惑になるしなぁ・・・。
なので、家を一通り確認し、壁にヒビなどは入ってなかったので、
とりあえず家にいることにしました。
お家にいると決めると、だんだん旦那ちゃまが心配になってきました。
あれだけの規模の地震だから、棚が倒れてきたりして
怪我してないかな?それに津波とか心配・・・。
でも何度かけても携帯は繋がらず、どうしようもありません。
しかも次々と大きい地震がくるので、とにかく我が家で
きんちゃんの安全を確保する事に専念しました。
まず水が止まるだろうからと、ヤカンや鍋に飲み水の確保。
水道に残っている水を汲むと、案の定すぐでなくなりました。
これで、停電、断水でライフラインは完全に遮断。
(我が家はオール電化なので、ガスは関係なし。)
予想通りとはいえ、厳しい状況・・・。
次に停電の為、夜に向けての「灯り」と「暖を取るもの」の確保。
懐中電灯とロウソク類を家の中から見つけ出し、
ホッカイロをあるだけかき集めました。
さらに寝床。いつもは寝室は二階の一番奥なので、
布団を一階の一番手前の和室に下ろしてきて、
窓を一箇所、鍵をあけておき
大きな揺れがきたときに逃げられるようにしました。
慌しく準備をしていると、だんだんと日が暮れてきて、
どんどん部屋の温度が下がってきました。
きんちゃんを入れていたコタツも冷めてきてしまったので、
きんちゃんが持っている服で、一番温かい服に着替えさせ、
更に外出時に着ている、全身を包める外套を着せ、
その上から私が抱っこすることで保温することに。
余震も続いているし、抱っこしていた方が逃げやすいしね。
思いつく限りの準備をした所で、
急に「携帯のワンセグTVなら見れるかも!」と
思いつきました。
携帯の電池が切れると、
いざという時の連絡が出来なくなるので、
ほんのちょっとだけと決めて、
早速、携帯電話で試してみると、
あ!映った!(*'Д'*)オォー!
もっと早く気がつけばよかった!
これでようやく情報が得られる~!
という嬉しい気持ちは、一瞬で崩れ去りました。
そこには予想以上の惨状が映されていたから。
「日本史上最大震度M8.8」
「津波で宮城・岩手・福島壊滅」
センセーショナルな見出しと共に、地震や津波の映像が
携帯の小さな液晶に映し出されます。
アナウンサーの方が声高に被災状況を読み上げていて、
その事態の深刻さに愕然としました。
私は宮城沖を震源とした、
ごく局地的な地震だと思っていたのですが、
被害は東北から関東まで広域であること、
更に太平洋沖で大津波が押し寄せ、
壊滅的な地域があることを、
この時はじめて知りました。
「これは復旧に途方も無い時間がかかる・・・。
これから日本はどうなるのだろう。」
先行きが全く見えないことによる
どうしようもない絶望感が押し寄せます。
更に「仙台空港に津波が押し寄せる様子」が放送された時、
思わず、息を呑みました。
津波が仙台空港の中にどんどんと流れ込み、
易々と車やトラックを飲み込んでいく映像。
旦那ちゃまの職場は、仙台空港のすぐそばなのに・・・!
仙台空港が津波に襲われているのなら、
旦那ちゃまの職場も津波に襲われている事は明白でした。
思わずワンセグを切ると、
日没後の部屋は暗闇に包まれました。
ぽんずは、寝ているきんちゃんを
ぎゅっと抱きしめるしかありませんでした。
つづく














