孤高。
この言葉の意味というか、真意を考えてます。
今の自分を考えてみる。
嫁には「あんた、友達少ないしいないね」と言われたりしたことありました。
いや、片手で数えるくらいしかいないけど、いますが・・・。
近くにはいないだけで・・・。
さて、河合隼雄氏の本に接して数年。
ようやく自分のことにも及んできたような気がします。
で、何がいいたいのか。
日本人が外国人を見て、かっこいいとか大人びてるなぁと感じる感覚は何か。
昔の日本人が男らしかったとか感じるのは何か。
昔の日本人は決して父親として自立してるわけではないのははっきりわかります。
外国人をみて何を感じるのか。
彼・彼女らはつながってるものが違う。
心でつながってるものの存在。
それは、神とつながっているということ。
宗教を前提に、絶対者たる神とつながる。
日本にはそれがない。
漠然と何かとつながる。
家族とか家とか会社とか・・・。
そのつながりが、何かのきっかけで切れたときに脆い。
あまりにも脆い。
これは日本人が克服するべき課題でしょうね。
例えば、会社につながってる人が定年すれば、呆けるような感じですかね。
だから、何が必要か。
自分がつながるもの。
今ではスマホなんかで、ネットつながりで感じてるかもしれませんが、これは弱いでしょう。
自分で自分だけがつながる何かを持たなければいけない。
私がもってるものは、自分の身体。
そう、身体につながってます。
そして、自然。
神ではないですね。
自然という地球そのものにいろいろ意味を見出しています。
神道に近いですかね。
宗教的な意味を考えるのではなく、感じている。
そして、それを自分に還元する。
今の私の段階ですね。
後はどこへ行くのかはわかりません。
でも、世間、社会の規範の範疇の中、自分のことも確立させないと、本当の意味で孤独になってしまうでしょう。
孤独はおそらく耐えられないと思います。