山姥のお話では、いろいろ類話がありますが、
日本的というのは、退治するだけが解決ではないというものですね。
西洋であれば、魔女などがこの類になりますが、一緒に共存という形をとらないでしょうね。
さて、山姥の話を人の深層心理との対比でみてみると、いろいろ自分というものが理解できますが、それは専門家にお任せして、
おもしろい話があったので、ピックアップです。
孫がとてもかわいくて仕方がないおばあさんがいました。
毎日、毎日舐めるほどかわいがったあげく、その可愛さのあまりに食べてしまったというお話です。
笑えないですが、今の時代には結構、こういうお母さんが存在しませんか?
実際に食べるわけではないのです。
昔話をイメージのお話として扱うのです。
自分の子供がかわいいあまり、その子供の未来を奪ってないですかね?
こちらが危険だからと大人の知恵で危険を回避させる。
でも、その回避能力は子供につくことはない。
その能力をつけるために親が後ろで見守ってなきゃいけないけど、危なかっしくってそりゃとても見てられないでしょう。
間違えれば命にかかわります。
でも、そこをうまくやるのが親の仕事でしょうけど、難しいです。
勉強にしてもそうでしょうね。
自分が親になって思うのは、本当に難しいということです。
簡単なようですが、意味を考えてやろうとすると、これが親としてはなかなかできないものです。
一緒になって遊ぶのはできるのですがねぇ・・・。
日々手入れと勉強です、はい。