yahoo.ニュースより
20日に5度目となる判決を迎える光市母子殺害事件。異例の経過をたどった公判は、被害者遺族による司法の壁との闘いの場でもあった。妻と娘を失った本村洋さん(35)は、法廷の内外で元少年への厳罰とともに、被害者が刑事司法から疎外されている現状を訴え続けた。その声は世論を動かし、被害者支援制度の実現にもつながった。
事件は平成11年4月14日発生した。残業して自宅に戻った本村さんは、妻の弥生さんの変わり果てた姿を発見。長女の夕夏ちゃんは、押し入れの天袋の中で遺体で見つかった。その4日後、近くに住んでいた元少年が逮捕された。
11年8月に山口地裁で公判が始まり、凄惨(せいさん)な犯行状況が次々と明らかになった。弥生さんは殺害後に乱暴され、生後間もない夕夏ちゃんは床にたたきつけられた上、ひもで首を絞めて殺害されていた。
だが、本村さんを苦しめたのはそれだけではなかった。被害者や遺族は、傍聴席で、被告の主張に耳を傾けるしかないという現状。妻子の遺影を持ち込もうとして職員に制され、「ふざけるな!」と声を荒らげたこともあった。
そんな中、仕事上の逆恨みで妻を殺害された岡村勲弁護士と出会い、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の活動に参加。被害者の権利が保障されていない現状を訴えるため、全国を講演などで飛び回った。
その声は時の首相の心も動かし、小渕恵三元首相から「犯罪被害者やその遺族の気持ちに沿えるよう対処していかなければならないと、痛感しました」という内容の手紙が届いた。12年に犯罪被害者保護法などが成立し、被害者の法廷での意見陳述などが可能に。16年には犯罪被害者等基本法が成立し、被害者への支援制度が大きく前進した。
裁判では、元少年に「極刑」を求め続けてきた。年齢と更正可能性などを理由に無期懲役とした1審判決後には「司法に裏切られました」と語り、「判決は加害者だけのものではない。少年への憎しみを乗り越えていくためには、死ぬほど努力しないといけない」と判決に怒りをぶつけた。
2審の「無期懲役」、最高裁の「破棄、差し戻し」を受けて、求めていた「死刑」を聞いたのは、20年4月の差し戻し控訴審判決。4度目の判決、事件から9年がたっていた。その時の心境を、雑誌の手記で「裁判長の声が耳に入った時、あまりにも多くの思いがこみ上げ、目を開けることも声を発することもできなかった」とつづった。
これまで積極的に社会に訴えてきた本村さんだが、5度目の判決を前に“沈黙”を貫いている。産経新聞の取材には、こうメールで返信があった。「13年も経過していますのに、事件に関心を寄せて頂けて下さることに深く感謝致します。ただ、ご依頼の件なのですが、判決当日までご取材は受けないようにしております」
元少年は1、2審で殺意を認めていたが、最初の上告審の途中から殺意を否認している。弁護団によると、20日の判決を前に特段変わった様子はなく、「重大な結果を生じることをした」と反省の言葉を口にしているという。
年齢や精神状態に関係なく、ことの重大性を最優先してもらいたいものです。
ただ、遺恨などの場合には全く違うと思います。
ですが、この事件は何の落ち度もない普通に幸せに暮らしていた人がいきなり襲われたのですから・・
しかも、赤ちゃんを床に叩きつけるなど人としてありえないことです。
でも、本当に長い裁判ですね。
また、被害者は一生苦しまなければならないのに、加害者は刑期という作られたものを通過するだけで現実社会に戻るのですから、これはあまりに対価が違いすぎます。
法も対価を求めてはいかがですかねぇ・・・。