麓の街中にある「謎の扉」。

市内のバス路線上にあり、小さな頃からこの路線に乗ると

いつも窓から眺めていました。

「何だ?あれは。」とね(^^)

その頃から「謎の扉」と呼んでいましたが、麓民であれば子供に限らず

大人の方でも同じく「謎の扉」と思っていることでしょう。

 

そんな謎の扉について、実は以前に資料で解明することは出来ていたのです。

ただし、解明は出来ていたとしても、やはり扉の中を見てみたいのが麓民の希望。

今回市役所の方と同行し、現地確認をすることが出来たのでした♪

何とも気になるこの重厚な扉。

一体どこに繋がっているのかしら。(川口隊長も知りたいはず)

 

ここは昔の配水場跡地。

トップの「謎の扉」は昔の水道(曽屋水道)の水源開口部。

今回は麓の水道の歴史を歩きながら辿って行ったのでした。

※もちろん専門家ではありませんので、難しい事を語る事は出来ません。

 写真の説明をする程度でご了承願います。

 

※画像はお借りしました。

大正時代の「謎の扉」です。

当時の方がただならぬ気配を醸し出していますね。

(とても大切にしていたことが感じられます)

右は「ハ号水源」と呼ばれ、左側の囲いは「ロ号水源」と呼ばれています。

現在も位置関係は変わらず、この坂道も県道となっています。

 

今回覗かせていただけたのは、左のロ号水源の扉内。

この石造り+鉄製扉も「謎」となっていた構造物のため、見られて嬉しい。

 

水源の説明書きです。

 

割と奥深い内部。

現在でも水源からかなりの水流が確保されていました。

 

そして「謎の扉」なハ号水源。

今回も開く事はありませんでしたが、こちらも上流部の湧水を集めて

引き込んでいる水路との事。

当時の方々が私財を投じて工事をしたと説明を受けました。

 

※画像はお借りしました。

昔の貯水の地図となっています。

水質の良い水道を布設するために、住民が力を出し合ったようです。

この水道は、神奈川県内で横浜に次ぐ2番目、全国でも極めて早い時期での

布設だそうです。

写真の「曽屋水道記念公園」「秦野・曽屋水道施設群」は、それぞれ

「登録記念物」「土木遺産」に登録認定されたようです(^^♪

 

こちらは水源扉の近くにある水神様。

水神様は幾つか見掛けることが出来ますが、こちらは特に作りが立派で

存在感がありました。

ちなみにこの辺りの町名は、そのまま「水神町」となっており、昔から近隣の

方々の親しみを感じられますね。

 

お次は更に水源に向かって歩いていきました。

ここは「接合井」

この上流部の水源二か所からの流れをここで合流させ、写真奥の隧道によって

曽屋配水場まで送水されています。

レンガ造りがいい味を出していました。

(長靴履いて、ジャブジャブとトンネルを進みたい気持ちはおさえておこう)

 

そして本日の最終目的地の水源です。

ここも普段は施錠している場所であり、関係者ではなくては立ち入れない場所。

 

紀伊ノ守水源(旧本町第一取水場)

とても雰囲気のある一角!

曽屋配水場へ流れる水源と一つです。

現在も豊富な水流が湧き出ている模様。

 

扉の奥は横井戸となっているようです。

現在は生活用水としての活用はしていませんが、秦野市内本町地区の公共施設の

庭園等に流しているとのこと。

昔の水道を現在も市民に見える形で利用している事に感動しました。

 

最後は麓が「天然の水がめ」となった理由を確認してきました。

地層により地下水が浸水する層や、その分布等を専門家の方から伺いました。

(難し過ぎるため、写真のみで説明なし♪)

 

 

この「御岳第一軽石」層は、遥か昔に木曽御岳山が噴火した際の火山灰堆積。

考えられない規模の地層形成ですね。

 

題目を絞った麓歩き。

とても有意義な時間となりました。

麓の水は、2016年環境省「名水百選」の選定30周年を記念した選抜総選挙を

実施した際に、「おいしさがすばらしい名水」部門で第一位をもらった水です。

(北海道「大雪旭岳源水」や、山形県「月山自然水」を抑えて選ばれました)

今後も有りがたく使わせてもらわなくてはなりませんね(^^♪