中学の頃

 

英語の歌

 

はじめはカッコいいと思って聴いて

 

カタカナで起こして歌ったりもしましたが

 

英語の授業あるのにあまりのわからなさに

 

 そんなに積極的に聴かなくなりました


曲の半分は歌詞だろう


歌謡曲だって歌詞にグッとくる部分は大きいのに


洋楽だけは歌声をインストのごとく聴くだけなんておかしい


とか英語の分からなさに逆ギレしてたのかもしれません


 

 

そんなこんなで



 

それでも突っ込んでいって大好きと豪語する人たちからは一歩引いてしまいました

 

 

 


 

 

これほど英語もわからないのに洋楽聴く民族っているのかな

 

 

なんて思ってましたが

 

それは過剰防衛だったんですね

 

今、同年代で懐かしく洋楽の話をするところには入っていけないのが残念です

 

 

 

 

しかし後年、この本に出合った時は

 

同じ考えの男がいた!

 

と、うれしくて、またこの本が面白いんです

 

 

冒頭抜粋(金子修介:失われた歌謡曲)

 

だいたい中学高校大学生くらいになると、普通は洋楽に目覚め、日本の歌謡曲など馬鹿にして聴かなくなるという傾向がある。しかし、少年の頃の僕は民族主義者だったから、洋楽を聴いてカッコをつけるというスノッブな気分が生じなかった。「カッコをつける」というのが「カッコ悪く」思え、恥ずかしくて嫌いだった。

 

圧倒的屁理屈派民族主義少年だった僕は「洋楽ってのは結局、外国の歌謡曲のことだろう、日本の歌謡曲を差別するんじゃない」と自ら打ち立てた理論に縛られ、その結果、大脳新皮質に「歌謡曲体」が形成されてしまった。

 

ドメスティック歌謡曲の毒素が、この身体中に染みついているのだ!

 

 

ここから何を語ろう?

 

同じだなぁ吾輩とということだけなんです💦💦

 

 

 

ムーちゃん、今日は抜粋で力尽きたよ


 

今日も吾輩の猫である