石川啄木

 

先日、歌を引用して

 

またちょっと興味がわきました

 

Wikiの文章量がもの凄くてちゃんとは読みませんでしたが

 

小説家を志して失敗

 

東京で新聞の校正係となって

 

誕生してまもなく死んだ長男を悼む歌を含む

 

有名な三行分かち書きの「一握の砂」を刊行

 

タイトルの元は

 

いのちなき砂のかなしさよ

さらさらと握れば

指のあひだより落つ

 

*それまで短歌は一行書きであったところを三行分かち書きを考案 内容もこんな短歌はそれまでになく斬新だったのでしょう

 

 

 

元は一行記述の「仕事の後」というタイトルであったと



タイトル大事ですねー

 

 

 

 

第二歌集は「一握の砂以降」というタイトルで

 

出版が決まり前借り原稿料がもたらされたが

 

 4日後肺結核で26歳で死去

この時妻は妊娠8ヶ月だったという


悲しいですねー

 

 

死後、啄木が残した文章の

 

「歌は私の悲しき玩具である」

 

というくだりから

 

『悲しき玩具』というタイトルで出版されたという

 

 

 

歌を『玩具』とたとえた啄木

 

 

吾輩のブログもまたそのようなものかもしれません

 

 

啄木は病に倒れ歌を作ることが唯一のなぐさめであったから

 

『悲しい』

 

とつけたのでしょう

 

 

 

吾輩もそんなときもありますが

 

基本『愉しき玩具』でありたいと思っております

 

ブログは吾輩の

『愉しき玩具』である

 

吾輩に限らず

 

ブログ書きの皆さんもそんなふうに

 

思いませんか

 

 

 

 

 

ムーちゃんは、玩具といったら怒られちゃうね

ムーちゃんの玩具が吾輩なんじゃろ



今日も吾輩の猫である