《覚書3》自灯明 


じとうみょう と読みます

初期仏教のお経の中にも 他の大乗仏教のお経の中にもでできる言葉です

お釈迦さまの遺言の中にある言葉です


弟子たちがお釈迦様が亡くなったあとは何を頼りに私たちは涅槃を目指す修行したら良いのかと言った時に 自灯明 法灯明 とおっしゃったそうです


この言葉をさまざまな宗派の仏教が色々に解説していますが 概ね下記のごとくです


自分自身の信念を拠り所として 人に頼らず人のせいにせず 自らの力で修行をつみなさい

わたしが示した教えを心の拠り所として それを実践しなさい


お釈迦さまは自分が亡くなる時に 後継者を指名したり 文字にした教えや「このことは守れ」などの具体的なことはおっしゃらなかったそうです


この遺言の一説を拠り所にして 一人一人が誰かの真似でなく 自分の意志を以て自分自身でお釈迦さまのようになろうと思い その教えを自分なりに理解していったわけです



このようなことが お釈迦さまの教えが様々に解釈されて 様々な宗派が生まれていった理由でもあるそうです


神仏にすがるのではなく 自分の力を信じて生きていくことは傲慢でしょうか


私にはそうは思えないです


お釈迦様がなさったように 自分自身を見つめながら自分の生きる方向や生きる目的を考える姿勢に 深い精神性を感じます