御府内八十八ケ所回りをしていると お寺にまつわる話もとても興味深いですが それ以外のあまり知られていないような遺跡や名跡 あるいは観光スポットに出会えるのも楽しいです


今回回った四谷や早稲田の近辺はたくさん寄り道する所がありました


まずは四谷怪談お岩さんゆかりの神社

お岩さんと、、、


於岩稲荷


ここから1キロも離れていないところに 服部半蔵のお墓がありました





墓石の真ん中には阿弥陀如来を示す梵字キリークが彫られていました

でも四方仏の他の三面が彫られていない、、、通りがかったお坊様に伺ったら「うちは浄土宗なんで阿弥陀さん以外の仏さんはないのですゎ」と説明を受けました


ところどころにこういう名所案内があり 一つ一つ読んでから次に進むのだから時間がかかります💦





江戸時代の数学者 関孝和のお墓もありました


早稲田大学の横を通ったら 何やら博物館がたくさんありそうなので入ってみることにしました


大隈重信先生 こんにちわ


古い校舎の残るキャンバス内の木陰

わたしの母校を思い出すような佇まいでした


演劇博物館の外観

チューダー朝の建築っぽい?



正式には早稲田大学内博士記念演劇博物館という。

昭和三(1928)年十月に逍遥の古稀と「シェイクスピア全集」の完訳を祝って学界・演劇界の有志千五百名余の協賛により建設された。建築の意匠はイギリスのエリザベス朝(十六世紀後半)の様式で、シェイクスピア時代の劇場フォーチュン座を模して設計されている。

鉄筋コンクリート造、地上三階、地下一階、広さは約四〇〇平方メートルで、内部は記念室をはじめ八つの展示室、図書間覧室がある。

また、外部は実際にシェイクスピア劇が上演できるようになっており、館の正面は舞台、二席の歳下は上舞台、建物の両翼は複敷、前庭は一般席となる。

なお、正面舞台上に掲げてあるラテン語は「全世界は劇場なり」という意味で、シェイクスピア時代の劇場グローブ座に掲げてあった看板の句である。


、、、と 案内板に書いてありました

あれ?チューダー調でなくエリザベス朝でした!


坪内逍遙先生 こんにちわ

保育園の子たちに何やら指南中 🤭


演劇博物館では 亡母の好きだった越路吹雪衣装展をやっていたので のぞいてきました



こちらは会津八一記念博物館

会津八一先生こんにちわ


館内の細かい意匠がなんか早稲田っぽい🤭


中央階段の踊り場が圧巻

横山大観と下村観山の合作だそうです

すごい歴史の重みを感じました


会津八一先生のコレクションより





なかなか立派な中央階段でした


早稲田大学をあとにして 面影橋を渡っていくつかの札所を回って この日の旅の終着点は都営荒川線学習院下駅でした


線路を見るとつい写真を撮りたくなる元鉄女な私でした

でも都電には乗らずにバスで帰りました