五島列島といえば レトロな教会群が有名です

また遠藤周作の「沈黙」の舞台としても周知されています

カトリックと付かず離れずの私は 五島列島で信仰のあり方を体感したいという思いをずっと抱いてきました


それが今回 色々な経緯によって教会は少なめ 神社を多めという旅になりました

はじめは教会巡りをできなくてがっかりだったけど とても変わった神社に行けて古建築ファンとしては嬉しい旅になりました


まずは教会のご紹介から、、、

五島列島の中でも上五島と福江島にはたくさんの教会があります

今回はその中でピンポイント的に福江島の井持浦教会に行きました

ルルドのお水があってびっくりしました


なかなかフォトジェニックな教会でした






今回は離島が中心の旅となったので 小値賀島と野崎島の教会を訪れました


野崎島 旧野首教会は修復中でした




海を見下ろす小高い丘にありました




小値賀島の教会はまだ地元の信者が集う場所でした



教会とはいえ 普通の民家のようです


祭壇

生花は野の花でした


教会なので終日出入り自由です

でも誰もいない、、

無防備にも程があると思いましたが ここは島社会、、良い意味でも悪い意味でもあけすけです


ミサには預かれませんでしたが 素朴な礼拝に思いを馳せました


この教会は野崎島にあった教会を引き継いだ教会だそうです

野崎島は昔から神祇信仰が熱く 江戸時代の潜伏キリシタンたちはそれを信仰の隠れ蓑としてこの島に移り住んだと聞きます

明治になり野首教会と瀬戸脇教会が建てられ 一時期はカトリックも隆盛したのですが第二次大戦後にどんどん廃れてしまったとのことでした



この絵の下に書かれた説明を下に書き起こします

悲しい歴史だけど こうして受け継がれていることが素晴らしいと感じました


小値賀教会

野崎島南端にある舟森地区にあった教会です。(津和崎瀬戸)

幕末の頃、外海の岩陰で明日には処刑されると祈っている3人

の男に、小値賀の廻船問屋「室積屋」の田口徳平治氏が助け、船の漁網の中に潜り込ませたが、夕暮れに出津の浜を出航するのは怪しいと港の出口の番屋役人が船に乗り込み漁網を何度も槍で突き刺し、出航後恐る恐る漁網を解くと3人は無事で、「天は我に味方した」と喜んだ、その後、徳平治氏は自らの使用人として届出し舟森に住まわせた、彼らはその由来を子孫に伝え続けている。数会は野首と同じく1882年(明治15年)に完成し過疎化により1966年(昭和41年)に小値賀島に集団移転し84年間の幕を閉じた。その後、司祭館を小値賀教会として移築し現聖堂になっている。倍者は元舟森住民瀬戸新市氏ら数人、彼らは鳥を捨てた訳では無く生活環境と社会変化により移転せざるしかなかったと思います。

二次離島における伝承と仰数少ない現状の中で守り継いでいる人々に感動いたします。私も過去に失われた数会を調べ絵いておりますが、瀬戸脇数会の歴史は何とも劇的な経線でたどり着いた数会では無いかと思います。小値賀町の歴史遺産として心の中で大切に残していきたいと考えこの絵を寄贈致します。