白ネコまるすとキジ白ぽんたの勝手に解説!
まとめると、王府への上納は、薩摩が検地で定めた石高である予想生産量に代やそれぞれの税率を乗じて算出していることがわかるにゃ
そうなんだね。でも、百姓の取り分である仕得は、実際の収穫量をもとに算出しているにゃん
毎年の実際の収穫量で王府への上納量を計算すると、年々の収穫の豊作や不作によって左右されるからかにゃ
そうだね。たぶん、薩摩藩に支配される以前は、そのような制度だったと思うんだ
ああ!にゃるほど。結局薩摩が行った検地というのは、王府から薩摩藩への米の上納量を固定化するためだったにょか
そう!当初は米での上納ではなかったけど、結局は安定的な上納量を確保するためと思われるね。薩摩藩への上納量は琉球国の総石高94,231石に対して、本出米と賦米、そしてそれぞれの運賃米を合計して11,778石と定められたんだ
享保12年(1727)時点では、米が25,776石、雑穀が5,322石で合計31,099石だよ
薩摩への上納は米だけだから、にゃんと米の徴収量の45.7パーセントが薩摩藩へ上納されていたにょか
王府の上納量は、慶長検地以前の収穫量を検地石高に割り付けた、としているから米雑穀の徴収量は薩摩侵入以前とそれほど変わっていないと思うよ。だから、王府は米の徴収量の半分近くを薩摩に上納したので相当財政的に困ったはずだね。そして、この29条はあくまでも例なので、実際の収穫量が予想収穫量を下回ることもあったはずだよ。例えば実際の収穫量が15石だった場合、3分すると5石。残り10石では王府への上納量12石強がまかなえない。このような場合は百姓仕得から充当する、と原文注の6に書いてあるよ。百姓も困るし、地頭作得は0だ。みんな困ったんだね。ま、この話はまた里積記の別の条で解説するよ。この29条では、地頭と百姓との関係がわかったね
ありがとねぽんた兄。勉強になったにゃん。もっと読書したいにゃん
