福島:最近の悲しい話 | 記憶と記録

記憶と記録

福島市北部のホットスポットに生息。
作成させて頂いた 3.11大震災記録の本 ↓↓↓
http://i36.jp/2012/


1, 放射能についてお母さん方が話し合っていたら、小学校の娘が
  「もう止めて!その話!」と、怒った・・・!。

2, 震災後、不登校の子が多いと聞きます(低学年)
 私の知っている子は、テレビに字幕が走ると、すぐに泣いて
 お母さんにしがみついて離れないそうです。今でも。
 お母さんはパートに出られなくて困っています。

3, 学校に来ても教室に入れない。
  保健室に30分ほどいて、帰ってしまう子がいます。
  教室 = 地震の恐怖の記憶なんでしょうか ?・・・
  理由は聞いていませんが、今日までずっと この「登校生活」を
  続けている子がいます。

4, 借上げ住宅の子が、ここに数年しか居られない事を知っている
  ようで、2月に入って「今度はどこに連れて行かれるの?」と
  子供が訊いてきた。
  親は「まだ居られるよ」と。
  「まだ居られる・・・」この言葉の現実 “短期” という表現を
  使ってしまったその場しのぎの親の返答は、言葉を選べない
 「切迫した大人の状況」も感じられる・・・。
  自分も同じ状況だったら、言い出しかねない。

震災から「もうすぐ1年。」テレビで「もうすぐ1年」と何度も
言うたびに、だんだん絶望的な地域の避難者は“追い込まれている”
でも“追い込まれている”のは大人より、子供なのかも知れないと感じた。
「今度はどこに連れて行かれるの?」 この言葉・・・
戦時中のどっかの収容所かよ・・・ 悲しい (>_<)ゞ