レイキに関しての投稿記事を、
ここ最近読んでいる。
近いうちに
レイキの伝授を受けることとなる。
自分がヒーラーとしてパイプ・導管になれるのか?
不安は残る。
たくさんの他人を癒せる存在に憧れて
なってみたい訳ではない。
ヒーラーになったワタシって凄いよね♪と
誇ってみたい訳じゃない。
---ちょっと脱線--
癒してあげたいというような表現は
実は苦手な自分。
~してあげる って自分がもし言ってしまったら
『オメー上から何様だよ?』
などと突っ込んでくるような
もう一人の脳内自分的なイメージが
浮かんできそうなんで…。
ただ
他の(ヒーラーの)方々が使っている際には
チラッと心ざらつく時も たまーに ありますが
そんな時に脳内に浮かべているのは
他の方々の【~してあげたい】の意味合いは
【その人に寄り添って何かしらを行いたい】ということ。
もしくは、
ヒーリングを受けたときの体験が相当に素晴らしい感覚で
これを他の方々にも知ってもらいたい
自分も広めていく一員になっていきたいという
使命感にかられてなのかなあと。
素晴らしい体験を己自身が経験してない故
【上からウンヌン】という自分の定義とは違うのだと
そう思うようにしています。
あ、↑の文は嫌みでも皮肉でも全くないです、ホントに。
ヒーリング体験をすっ飛ばし、
いきなり伝授に臨もうとする無謀なwワタシなので
これから体験したら認識が変わるかもしれない。
でも
この投稿を書いている現時点では、こう思っていたよと
未来の己に対して残しておこうという意図です。
なので、うん、そんなに抵抗は感じない…ですね。
どっちかというと
【上からウンヌン】としてしか捉えられてない己に
なんか寂しいというか、悲しいというか
ちょっと凹んじまいます。
------以上脱線終わり-----
で
癒したいという相手はあれど
その対象は今の時点では家族のみ。
生業として営む
つまり職業にしたい訳でも…今んところはない。
じゃあ何で伝授を申し込んだの?ってことになる。
答えは、己を整えた状態にしたいから。
ここ1年位はなんか、
ずっとスッキリしない状態が続いてる。
家族の長として判断や決断をしなければならないが
その決断には とーぜんその後のことに対して責任が伴う。
判断の中に個人のエゴがないか?
今までのスタンスと比べてブレてないか?
先を見通しているか?
考えて考えて過ごしているものの
次第に
正論を傘にした傲慢な姿勢になってきたような自覚がある。
自分の中では正論と感じているが、果たしてホントにそうなのか?
最近、うーん、ちょっと自信が…。
己を癒すことで、判断にも心の余裕が生まれ
他者に対しても余裕が生じてくれば
そこから気持ちの歯車が好転してくるかも_
なんてなってくれたらなあ。
数ヶ月前とか、気分が閉塞してた時は
申し込む気持ちにすらなってなかったが、
動くことは出来た。
氣枯れの状態からは少し脱しつつあるのかもしれない。
そう感じてます。
未来の己に対しての、現時点での報告は以上です。