4月24日 父が亡くなりました。
突然の病発覚から闘病すること、1年6ヶ月。
当初宣告された余命より、随分とがんばりました。
3月末、車の中から父が植えた桜の木を見に行くこともできた。
4月、孫の大学入学の写真も見せてあげることができた。
ベッドで過ごす毎日で、徐々に床擦れもしたり、手足の麻痺が進んだり、寝ている時間が長くなってきて、食べれるものも限られてきて。
4月20日を過ぎた頃、痰が絡むようになって。訪問看護の時に、あまり状態がよくないので、なるべく夜は一人で看護せずにご家族で、と言われた週末、土曜日は私が泊まって、日曜日は弟が泊まって。孫たちも皆、顔を出して。
視線で追うだけとはいえ、父も嬉しそうに反応。
あと1週間で71歳の誕生日だからね、ケーキ食べようね、と励まして過ごした週末。
月曜日の朝、実家に行って。痰が絡んで、息が苦しそうだったので父の側で音楽でもかけてあげようかと、80年代ヒットソングをかけていたら…
母が熱を測ろうと、声をかけたその時、一瞬、カッ!と声がしたと思って駆け寄ると、すでに呼吸が止まっていました。
本当に一瞬のことで、母も私も何が何だか全くわからず…急いで看護師さんに電話をかけ、言われた通り身体を横にして必死に声をかけたけれど…戻ってくることはなく。
病気を告げられたとき、最期は寝る時間が長くなって、本人は痛みもなく、腫瘍が脳幹に達したら突然呼吸が止まることもあります、と聞いていたまさにそのままの最期でした。
誤嚥性肺炎の危険があるので、もう、あまり食事は必要ないですよ、とのことで食事を控えるようになって一日も経たず、、終わりを迎えてしまいました。
振り返ればあっという間の一年半。
それでも、私自身、ほぼ毎日実家に通って、色々あったけれど…父にしてあげたいこと、食べさせてあげたいもの、心残りなくサポートしてあげられたと思えるまで、頑張ってくれた父。
今でも、なんで父が、なんでこんな病気に、なんで、、の怒りが尽きないけれど。
家族みんなで見送ってあげられて、よかった。
在宅医療で、よかった。
当たり前のように存在していた父が亡くなって、1か月余り。変わらず、そこに日常があって。なかなか実感がわかないけれど…
今日ようやくブログに書くことができました。
この世から、治らない病なんてなくなればいいのに。