既存のダムの直下に新しいダムを建設するという手法でかさ上げが図られている丸山ダム。
その下流の景勝地、蘇水峡にかかる蘇水峡橋です。
蘇水峡橋西詰から。幅は狭いが一方通行ではない。
横から見ると鋼アーチ橋だ。西側からだと木に遮られてあまりよく見えない。
橋の上からの蘇水峡の眺め。
1㎞ほど上流からこの辺りまで木曽川の幅がぐっと狭くなり、山に囲まれた渓谷となっている。
下流方向の眺め。
右手前に見えるのが丸山ダムの水を利用する丸山発電所。
さらに奥に写る二棟並んだ建物が、丸山ダムの建設以前に水路式の発電を行った八百津発電所の建屋(運転期間1911-74)。
橋の東岸にかなりの高さの石積があってビビる。上端の柵との対比で高さがわかるだろうか。
渡って、東岸はそのままトンネルへつながっている。
トンネルの中には発電所へ向かう分岐がある。
分岐側は通行できないが、蘇水峡橋北東(写真左手方向)の坑口へは行ける。
そして入口には扁額はなく、代わりにこのようなマークが掲げられている。
現地ではこれが何なのか分からず「アメ玉の包みかサイクロプスの頭みたいだな…」というアホみたいな感想しか浮かばなかった。
帰ってから調べると、これは関西電力の社章らしい(V=ボルトとA=アンペアの組み合わせ)。
この辺でカンのいい方はお気づきかも知れないが、この隧道と蘇水峡橋を含めた丸山ダムへの道は、もともとダム建設工事の専用鉄道(丸山水力専用鉄道)のために開かれたものなのである。
丸山ダムの計画が発電用ダムとして始まり、関西電力が所有権の大部分も持っていたために、工事用のトンネルにも社章が掲げられたのだと思われる。
丸山ダムの管理体制はややこしいので細かい経緯はWikipedia参照。
蘇水峡橋の親柱。
銘板は架設年のものが失われており、「蘇水峡𣘺」「そすいきようはし」「木曽川」の三枚。
鉄道橋の頃は木曽川橋梁という素っ気ない名前だったようだ。
鉄道橋としての完成は昭和28年、翌昭和29年にダムの完成に伴い道路橋となり、名称も改められた。
北東から。美しい。