矢崎川沿いの集落、吉良町酒井の稲荷神社です。
稲荷神社全景。境内向かって右手は公民館で、神社としての敷地はそれほど広くない。
鳥居は昭和三十一年十月建立、「岡﨑市門前町 刻 清水組石材会社」の銘があった。
入口左手の高い台座に載った灯篭は文化八年(1811)、鳥居の前の一対の灯篭は文政十二年(1829)のもの。
玉垣は吉良町宮迫の神明社で見たのと同じ、夫婦連名で奉納する「おしどり玉垣」スタイル。
境内南東から、といっても1枚目とあまり変わらないが。
本殿周りの樹が切られているせいか、境内は少し殺風景だ。
この後散歩に来られた近所の方とお話したら、管理を続けていく難しさもあって割と最近に切ったとのことだった。
2013年10月のストリートビューでは以前の姿を見ることができる。
私は神社にはある程度樹があって欲しいが、どうせ切るなら中途半端に幹を残さない方が良かったのではないかと思う。
枝を切り払われた姿はかえって痛々しい。
水盤の奉納者を見ると「適齢紀念」と題されていた。
現在の会話の中で適齢期と言えば結婚についてを指すと思うが(それも死語に近いが)、ここでいう適齢は恐らく徴兵適齢、つまり満二十歳となったことを記念していると思われる。
ちょっとした言葉に時代の空気が表れていて面白い。
木造の拝殿。
正面には龍や波の飾りがあしらわれている。
この神社はタイトルの通り稲荷神社なのだが、鳥居や拝殿の額も入口の社標もなく、境内に由緒書きもないので現地では社名すらはっきり分からなかった。
『吉良町誌』によると創建は康永二年(1343)、足利尊氏が饗庭七郷の新田開発した際に豊作を願って伏見稲荷を勧請したことに始まると伝えられる。
その後、明治十一年に西の友国にあったものをこちらへ遷座したとのこと。
ちなみに、当地の新田開発に由緒を持つ神社は饗庭神社など他にも近隣に複数ある。
なんか境内を見ても稲荷社っぽい要素がなく(強いて言えば狛犬がいないのはそのためだろうか?)、イマイチ正体をつかめない感じの神社だった。
おまけ。
神社のすぐそばに「徳川四天王 酒井氏発祥の地」の看板が立っている。
この看板によると、酒井氏の祖先広親(ひろちか)は、後に松平氏を継いで家康の祖先となる親氏(ちかうじ)が、松平郷(現豊田市松平町)へ行く前にこの地でもうけた子であるという。
つまり徳川氏と酒井氏は親氏という共通の祖先から分かれた縁戚にあたることになるが、これには異説もあるらしい。
一見特に目立ったところのない集落にも歴史の断片が落ちているものだ。