矢作古川河口の松木島の八幡社です。
境内南東から。前に参拝者用の駐車場がある。
正面入り口。社標では松木島八幡社、鳥居では八幡宮となっている。
境内全景。
緑青に覆われた両部鳥居は銘板に「奉大正十三年三月」とあった。
戦時中の供出の対象にならなかったのだろうか。
著名な神社にはあるのかもしれないが、個人的には古い金鳥居をあまり見たことがなかったので興味深かった。
境内の西側にも入り口があり、奉納碑では手洗参道としていた。
上の写真の玉垣には入り口左手に「昭和三十二年十月 石工 岡崎市 嶺田力」の銘が見えた。
同名のお店が現在も岡崎市内の石屋町通りにあるようだ。
本殿向かって右の瑞垣の中には境内社が祀られているが、鍵がかかっており近づくことはできなかった。
戸の上の札によると津島社、御鍬社、神明社、大山砥社、秋葉社の五社が祀られているようだ。
向かって左の稲荷社。祠の扁額には「伏見稲荷社」と書かれていた。
狐像。昭和四十二年、作者不明。
拝殿前。
狛犬。大正十三年、「酒井孫兵エ刻」とあり六代目酒井孫兵衛の作品だ。
立派な拝殿。
壁面の上部には二段に分かれて彫刻が施されており、上段は獅子、下段は龍が出てくる物語のようだ。
このコマでは複数の龍が瓶から酒を飲んでいる場面が描かれており、スサノオによるヤマタノオロチ退治かと思われるが、どうも上の写真の三場面とはつながらない気がするのでそれぞれ別の話かもしれない。上の写真が何の話か分かる方が居たらぜひ教えてください。
どのコマも立体的で動きが感じられる。状態もいい。
玉垣の外、境内の南西角に立つ由緒書き。
創建は弘治元年(1555)と伝える。
木曽義仲の末孫(『一色町誌』では家来とも)が当地を開拓し、宅地に義仲の守護神であった八幡大神を祀ったのが始まりという。
天正元年(1573)になると戸数も増えて村の鎮守となり、松の木の根元に鎮座していたことから当地を松木島と称する。
『一色町誌』ではその他、元和元年(1615)に津波で社殿が流出し、御神体は大塚村(現一色町大塚)へ漂着したものを奉還したという話も伝えている。
この辺りの海に近い集落は新田開発でできた所が多いので神社の由緒と村の始まりが重なっていて、そこに伝えられる話に真偽はともかく想像をかきたてられる。