清正公大神社 (湖西市白須賀) | 手当次第

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気になる所にいってみる

潮見坂近く、東海道の宿場町だった白須賀宿の外れに建つ神社です。
 

 
民家の間にある細い入り口。社標や看板などはない。
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集落背後の高台が境内となっています。
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傍らに皇紀二千六百年(昭和十五、1940)の石段改築記念の碑が見えた。
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清正公大神社2019年現在の姿…。
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パッと見で社殿が崩れかかっているのが分かると思いますが、正面からの見た目はまだマシな方で後ろの屋根は落ちており、いつ全体が倒れてもおかしくないような状態です。
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納められていた太鼓などもそのまま埋もれていました。
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御神体などが遷座されているのかは不明です。
湖西市の観光サイト上にはもうちょっと状態がいい頃の写真が載っていますが、これもすでに軒が一部崩れているのがわかります。
 
由緒は上掲のページによると以下の通り。
江戸時代、白須賀の海でおぼれた若者を、通りがかりの大名が家来に助けさせました。救われた若者は加藤清正のご利益と聞かされ、お礼参りに行き、その分霊を奉じて現在地に祀ったといわれています。
分霊を奉じたとあるので通りがかりの大名は清正自身ではないと思われますが、その大名は何を思って自らの行為を清正に帰したんでしょうか。
あるいは助けた大名とは関係ない第三者が「きっと清正公のおかげだよ」と若者に告げた、ということか?
 
Wikipediaを見ると清正公信仰には複数の性格があるようですが、ここではその由緒からして災難除けの御利益を願ったものかと思われます。
 
冒頭に神社の場所を「白須賀宿の外れ」としましたが、この潮見坂より下の街道筋は宝永四年(1707)の地震による津波で大きな被害を受け、その後は坂の上の高台へ移転した歴史があります。
そのため移転前に宿場が置かれたこちらを元町と呼ぶそうです。
 
現在でも海に面したこの辺りには津波の危険性があり、高台にある清正公大神社の境内は避難場所に指定されています。
 
もし津波が起きれば、清正公の名を冠したこの場所に救われる人が再び出るのかもしれません。
そのようなことがないのが一番ですが。
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