瀬門神社 その1 (西尾市吉良町瀬戸) | 手当次第

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気になる所にいってみる

忠臣蔵で有名な吉良氏の領地だった吉良町にある瀬門神社(せとじんじゃ・せもんじんじゃ)です。
瀬戸神社とする資料もあって、実際に所在地の地名は瀬戸なんですが、社号標などは瀬門神社なっています。
 

 
参道入り口。一の鳥居まで多少距離があります。
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入口にある由緒書き。
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天照大御神を主祭神にし、かつては神宮遥拝所もあったようです。
また末社の海津社は、資料によっては海神社となっています。
 
源頼朝が社殿を修復とか、徳川家康(当時は松平)がすぐ近くの東条城攻略に際して参詣したという、何気にハデな社歴を持つ神社です。
さすが郷社。
 
ゆるい坂を登って鳥居の前に到着。
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端に写る「白瀬南極探検隊長の墓」については後述。
 
一の鳥居は大正12年建立、そして作者はあの「石匠 酒井孫兵衛」!
いやぁ、ビッグな神社にはビッグな石工ということでしょうか。
 
隣の灯篭もなかなか立派で、それぞれの面に「天神地祇/神明宮/牛頭天王/秋葉山」の浮き彫りがある欲張り灯篭です。
読み取りにくかったけど、弘化3(1846)年建立かな?
 
二の鳥居は一の鳥居より古いようで、建立年らしきものも彫られているんですが、摩耗して読み取れませんでした。
作者も同様で、なんとか「■川村 石工 六兵■」と読めました。
 
本殿への途中にある境内社。
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境内社としてはちょっと大きくて、『吉良町誌』に稲荷社は長坂山にあったが明治6年に瀬門神社境内へ移転、とあるのがこれかなーと思うんですが、詳細不明。
 
拝殿正面。斜めになっている幟立てが気になる…。
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斜めから。本殿は最近建て直したらしく、真新しい。
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拝殿の壁に掛けてある額には「金的中(きんてきちゅう)」と書かれており、弓で金色の的を射て、的中した人が奉納するもののようです。反対側の壁にもびっしりありました。
東側に射場らしきものがあるのでそこで行うのかな?
 
他のところでも見た気がするけど思い出せない。
 
社殿向かって左にある境内社。
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由緒書きには末社3社が挙げられていて、途中にあった大きい境内社と合わせると数が合わないけど詳細不明。
 
大きい神社だけあってネタが多く、長くなるので以下次回へつづく。