8,成都から昆明へ、成昆鉄道

 

かくして8月6日早朝、二泊した交通飯店を出る。成昆鉄道の切符

時計の針が5時を指しているということは実質的には

日本の朝3時に当たる。当然、辺りはまだ漆黒の闇

に包まれている。

 

とにかく成都北駅へ行かねば。

駅まではバスが出ている。

普通の路線バスなら5角(約15円)でどこまででも乗れるが、

早朝6時前ではまだ走っていない。     

           

【成都・昆明間 41元1200円の「硬座」切符】

 

 

 

少しあわてていると、白タクまがいのマイクロバスが

暗闇の中から現れた。

 

「ホワチュウペイタン(火車北駅)(北駅行きだぞ)」

大声で中の男が叫ぶ。イチかバチか乗ってみるか。

「ドゥオシャオチエン(多少銭)(いくら)?」

「リャンマオ(2元)」

約60円、路線バスの四倍の値段。

バスには客は誰も乗っていない。

中の男の顔をのぞく。まあ、悪い奴でもなさそうだ。

リュックごと乗り込む。成昆鉄道の内部

 

走りだしたバスは途中何人もの人々を次々と乗せて

程なく駅に滑り込んだ。無事に着いて内心ほっとしていた。

社会主義の影にいろんな商売が「繁栄」しているものである。

 

午前7時46分、成都から昆明行きの蒸気機関車は発車した。

この路線は「成昆鉄道」と言われ、

五千メートル級の山々の間を何百という鉄橋とトンネルが

縫うように走っている。

約2000キロのこの鉄道は中国共産党の威信をかけた難工事で、

十数年間の歳月をかけ、多くの尊い命と引き換えにようやく

1970年に完成したそうである。

                                 

【成昆鉄道の列車内。網棚はギッシリ。】

 

 

直角の椅子。スプリングなんて全くない。

しかも奥行きが約四十センチと狭いため、すぐに疲れてしまう。

向い側と横にいる人たちは、

はじめは大声で何やらわめき合っていたが、

そのうち僕という存在に気づき始める。

彼らは、妙な奴がいるぞとばかりに

僕に好奇心まるだしの眼差しを向ける。

そしてこちらがにっこり微笑むとたちまちいろいろと質問責めにしてくる。

 

 

日本人だというと大変驚き、そしてすぐに打ち解け、筆談となる。

5年前だとこういう場合、

日本人がそこにいる、というだけでその列車中の目が集まり、

「日本人だって」「えっ日本人?」「ほう、日本人ねえ」

という具合いにワーッと伝わって気恥ずかしい思いをした。

 

こちらとしては「どうもどうも」と、にこにこするという何ともしまらない

光景となったものである。

しかしさすがに今では彼らも外国人を何度か見たことがあると見え、

むき出しのリアクションは少ない。

しかしそれでも彼らの質問はまるで子供同然の純粋さで、

「どこへ行くのか」

「どこの町が一番よいと思ったか」

と矢継ぎ早に飛び出す。

 

やはり経済開放政策の影響からか、

「お金は幾ら持っているのか」「君の収入はどのくらいか」

などと金銭に関係した質問が必ず後半に、

やや遠慮がちながらも出てくる。

 

何も金満大国日本の繁栄ぶりを彼らに

見せつけるためにやってきたのではない。

敢えて身なりも質素にしたのもそのためである。

そこで多少少な目に自分の収入を告白する。

しかしそのたびごとに彼らのうらやましそうな

反響に何とも言えぬいやな思いに駆られてしまう。

 

社会主義国でありながら資本主義の良い部分を導入し、成昆鉄道の車窓から

国家の活性化を図ろうとするのが経済開放政策である。

しかし同時に「お金という物差しでものの価値を計る」

という今までになかった価値観も持ち込まれてくる。

その途上にある中途半端な状態が現在の中国だといってよい。

金銭に関連した犯罪も急増している。

都市部では、この数年で人の心が大きくすさんだといわれる。

これも繁栄のための大きなツケと言うことになるのだろうか。

 

昼になって、お腹が空いてきた。

すっかり仲良くなった周りの人たちに教えてもらって、

ある駅で同席の李成学さんという40才くらいの男性と一緒に

駅弁をすばやく買いに走る。

 

我々が乗った鈍行列車が停車したのは、

壮大な自然に包まれた何でもないような片田舎の小さな駅。  

 

(リンゴを売る女の子の目は必死)

 

一斉に窓から手が出てりんごや梨などの果物を買う乗客の人たち。

中には鳥の丸焼きのようなものまで売っている。

中国人の一番エキサイティングな時間、

「メシの時間」が一気にやってきたという感じ。

 

10分以上は停車するはずだが、

彼らは我先にとプラットホームで駅弁に群がる。

一つ2元(60円)。発泡スチロールの容器に入っている。

中身が分からないので、李さんは次々と全部ふたを開けていく。

僕が適当に選ぼうとすると、こっちの方がいいと選んでくれた。

食い物が絡むと、いつも以上にエゴイストになる彼らである。

 

やれやれそれでもオマンマにありつける。

以前、この機会を逃して何時間もひもじい思いを

したことがあるので列車内での駅弁獲得合戦は

僕にとって真剣勝負であった。

弁当の中身は、分かりやすく言うとぶっかけご飯である。

 

 

インディカ米のポロポロ飯の上に

豚とモヤシとトウガラシのぴりっと辛い炒め物が乗っかっていて、

カブの漬物のような物が添えてあるだけ。

この手の「料理」は、細かい味付けに期待はできない。

四川風の辛さだけの大味な弁当だが、

それでも腹が減っては、とばかりにかき込む。

 

車内の人たちは、程なくそれぞれの駅弁を食べ終えた。

ふと見ると、なんと彼らは食べ終えた後のゴミを

次から次へと列車の窓から外へ投げているではないか。

りんごの芯や梨の皮なら許せるが、

駅弁の発泡スチロールの容器まで何のためらいもなくポイである。

これには参った。さらに驚いたのはあちこちで窓の外に鳴り響く音。

「パリーン。ガシャーン。」

ラッパ飲みしたビールの瓶が、

無造作に捨てられて窓の下で粉々になって飛び散る音である。

エチケットやマナーの悪いことは知っていたが、これほどまでとは。

 

鈍行列車だから、目まぐるしく乗客が入れ替わる。

僕の六人がけのボックスにも、いろんな人が入れ替わり乗っては降りて行った。

彼らはそれぞれ数時間の列車の旅であるが、

その一人一人に応対するこっちはなかなか大変でもあった。

駅弁を買うのを手伝ってくれた李成学さんはテレビ局の記者だった。

姜(きょう)兆瑞さん(50歳くらい)は、

僕のために他の車両からお茶を飲むためのお湯をくんで来てくれた。

名前は聞かなかったが、30代位の仲のいいある夫婦は、

その日唯一の夕食となった梨をいくつも分けてくれた。

 

しかし中でも最も長時間にわたって熱心に話し込んだのは

張云彩さんという25歳位の女性であった。

珍しくGパンにサンダルばきで

持っているかばんも素敵なものだったので、

最初彼女のことを日本人か、少なくとも香港人かと勘違いしていた。

 

それほどおしゃれな彼女は雲南省の広通という町に住む労働者である。

筆談をしてわかったが、実に几帳面で生真面目な女性である。

会話のたびに僕の大学ノートをびっしり細かい漢字で埋め尽くしてくれた。

 「あなたは今回の旅行で何を得るために来たのですか。」

 「20日間の予定だそうですが、たったそれだけで中国の何がわかるのですか。」

 こちらはそれを「解読」し、答えを考え、即席で我流の中国語文を作り、

彼女に返す。彼女は文法的にデタラメな僕の文章を何とか「解読」する。

こうしたことの繰り返しで必ずしもはかばかしくない会話である。

 

しかし彼女の予想以上のレベルの高い質問に、

中国語のボキャブラリーの少なさともあいまってしばしば答えに窮した。

そんな場合でも彼女はこちらに正対し、

まっすぐに僕を見据えて答えを待っている。色気もへったくれもない。

 

日本人のような曖昧な苦笑いやお茶を濁すというような

逃げが通用する状況ではなかった。

 

彼女は自分の日本に関する知識をもとに、

日頃持っていた疑問を次々とぶつけてきたような感じだった。

当り障りのない返事をしようものなら徹底的に突っ込まれた。

こちらもお返しとばかりに中国の交通事情の悪さを指摘して

彼女の意見を求める。

うわっつらの社交辞令を越えた本音の討論となってしまった。

 

中国人女性は概して初対面の人間と話すときや、

仕事中は意味もなく笑うことがない。

聞くところによると、

そうしたことは自分を低く見せることだと考えられているからだそうである。

 

事実、彼女がただ一回照れたように笑ったのは、最後に僕が

「よかったら一緒に写真を撮らせてもらえませんか。」

と申し出たときだけだった。

 

時計は午前3時を示していた。

彼女は異邦人の僕ともっと話したい様子だったが、

正直なところ眠たくて仕方がなかったので、彼女との筆談はそこで終わりにした。

 

しかしその後も甲高い声が飛び交う周囲の騒音と

窮屈で居心地の悪い座席のおかげでほとんど眠ることのできないまま

朝を迎えたのであった。

 

ふと見ると、僕の足元の通路に大きな紙を敷いて、

ひとりの中年男性がグウグウ寝ている。

ゴミが散乱していて決してきれいな通路ではないが、

熟睡している彼を見て何かうらやましい気持ちになった。