ご無沙汰してました。


なかなかブログを更新できなかった理由・・・



父が6月26日に肺がんのために亡くなったからなのです。

分家のわが実家、何せ、お葬式など初めてなので

わからないことだらけ・・・

とにかくバタバタしておりました。


そして、昨日の25日に無事49日の法要を執り行なうことができました。

あとは新盆の手配のみとなりました。

やっとわが家も落着きを取り戻しつつあります。


以下は病気の説明というか、私の覚え書きで内容が重いので、ご覧になりたい方だけどうぞ・・・








一昨年の年明け

ヘビースモーカーの父が鉢植えを1階から2階に移動した翌日

腰の痛みを訴えて病院でレントゲンを撮ってもらった所

腰は筋挫傷で問題ないけど、

ありえないものが見えている・・・

とのことで確認したところ、肺に卵大の白い影

肺がん(小細胞がん)でした。



その後のPET検診では膵臓にも影が・・・

手術はできないとのことだったので、

抗がん剤での治療となりました。


がんが発見されないままだったら、余命3ヶ月とのことでした。

驚いたのは、卵大の大きさにがんが育つスピードも3ヶ月ぐらいだと

いうことでした。


抗がん剤治療をしても余命は1年から1年半ぐらいだろうとのことでした。


余命のことは父に伏せて、抗がん剤治療、温熱療法を開始しました。

目だった副作用も脱毛以外は特になく、入退院を繰り返しました。


退院時は食欲も落ちる事はなく、庭いじりをしたり、外食したり、

温泉旅行をしたりと楽しんでいました。


ちなみに、九州からやってくるプリュを迎えに仙台空港に行った時も、温泉旅行の帰りでした。

それからは、父の病室にはプリュの写真が飾られるようになりました。



去年の10月頃、肺炎にかかりましたが、それも良くなりました。

半年遅れの喜寿のお祝いをしました。


今年の2月頃から、食欲がなくなったり、味覚に変化がでました。

形相が変わってきたのもこの頃です。

何というか、仏像の顔のような感じになってきたのです。


5月には、医師より、

年齢的なもの、体力的なものも含め、トライする抗がん剤がなくなったとの宣告を受けました。

ホスピスの紹介もされました。(事実上の死刑宣告かな?)

免疫治療も開始しました。


退院して間もない5月末に2日連続で高熱を出して、救急外来へ。

たまたま担当の先生がいらっしゃったので、そのまま入院となりました。


熱の原因はがんが大きくなる時にできる腫瘍熱というものでした。

入院してからは、体の痛みを訴え、夜中でも付き添いの母を起こして

鎮痛剤を処方してもらっていました。

段々強い痛み止めになったようです。


この頃から、夢現といった感じで(多分痛み止めの副作用)、色んなところに旅行に行ったり、

旅行に行こうとしたりしていました。

昼間勤務中の兄に、そして夜中に私へ電話してみたり、

(個室だったので、携帯は使い放題でした)してました。


亡くなる4日前に、見舞いに行った私に声にならない声で

「パクパクパクパク(何を言ってるのかまったくわからない)」して

「何言ってるの?わからない」

と言った私のあごを指でチョンとつついたのが、私と父の最後のコミュニケーションでした。


程なく父は昏睡状態に陥りました。

熱はその後も出続け、亡くなる前日に父の手を握ったところ

あまりの熱さに私がびっくり。手に体温計をあてたところ、39度ありました。

点滴しようにも血管が固くて受け付けず、本当に燃え尽きるように

枯れるように逝ってしまいました。



医師や看護師さんには本当に感謝しています。

ありがとうございました。


そして、1年から1年半と言われていた余命を1年長くのばして

頑張ってくれた父に感謝しています。

2年半かけて、父の死への覚悟がだんだんと出来ていったので。


悲しいのに不思議と家族は涙を流しませんでした。

精一杯悔いなく見送ったからなのでしょうか。



今でもまだ父が入院していて

「退院したよ~」と家に戻ってきそうな気がしています。


寂しくなった実家には、ほぼ毎日、セラピー犬?のプリュがお邪魔してます。

母も少しは気がまぎれることでしょう。



次回からは普通のブログに戻ります。