東日本大震災から13年。14:46に黙祷する。

 

その日はサンリオピューロランドの対面にあるビルで仕事していた。

椅子の下から突き上げられたような縦揺れの直後、初体験となる大地震。

パソコンの本体が倒れないように押さえながら揺れをやり過ごす。すごい揺れだった。

 

本震が収まり、ビルから出てすぐの駐車場に避難し、余震に揺れるビルを眺めてたりしていた。

仕事は打ち切りとなり帰宅しようとするも、京王線は動いていない。

だが多摩モノレールは動き出したので、同僚と一緒に立川まで移動。

武蔵野線ルートで帰ろうと考えたが、JRは全面ストップ状態だった。

 

とりあえず立川駅前の日高屋で夕食を食べ、駅構内で運転再開を待ちながら、初めて名取市の津波の映像を見る。

ちょっと見ただけだったので映画かドラマなのだろうと思ったが、後日事実であることを知る。

 

JRが動かないと判って間もなく昭和記念公園が開放されるという情報を得て、そこで夜を明かそうと歩いて行く。

 

途中で毛布が配られ、皆、やる事がないせいか横になりはじめた。

自分と同僚は共に酒好きなので、同僚にコンビニで日本酒を買ってきてもらい、ヒソヒソ声で酒盛りを始める。飲んでるのは我々だけだった。

 

翌朝は炊き込みご飯のパックを有難くいただき、立川駅へ。

JRはまだ動かないので、京王線に乗り新宿へ向かう。

電車はメチャ混みで同僚ともここではぐれる。

途中腹が痛くなり、桜上水で降りトイレに寄る。

 

その後は時間はかかったが、京王線で新宿まで行き、埼京線で赤羽まで行ったと思う。

赤羽では赤羽岩淵まで歩き、埼玉高速鉄道に乗り、午後2時頃にようやく帰宅。

 

なかなか連絡がつかなかったこともあり、家族や家を心配しながら帰ったが、家族はケロっとしていて安心した。

 

 

それから日が経つにつれ、2年半住んだことがあり知人もいる仙台周辺はもちろん、東北地方が壊滅的な被害を受けたことを知る度に心が痛んだ。

津波で町が一気に壊れていく様子や原発の爆発映像も衝撃の連続であった。

 

あれから13年か。

復興は着実に進んでいるようだが、いろんな意味で忘れてはならない出来事であると思っている。

 

 

■帰宅難民になった日、一宿一飯のお世話になった昭和記念公園