現在のX(旧Twitter)において、バズった投稿のリプライ欄を開くことは、人生の貴重な時間を「AIによるインプレッション採掘」に献上する行為に他なりません。
公式がAPIを制限し、ブルーバッジによる課金制を導入した結果、起きたのはボットの根絶ではなく、「技術的淘汰を生き残った、より狡猾なAI」による擬態の高度化でした。
1. 門を閉めても、壁を登る技術が上がっただけ
正規APIを遮断された業者は、Puppeteer等のブラウザ自動操作へ移行。AI(LLM)で生成された「もっともらしい日本語」を使い、マウスの動きやクリックのゆらぎまでシミュレートしています。今やシステム側が、月額料金を払う「熱心な人間」と「高度なAI」を判別することは不可能です。
2. 過去の遺産を食い潰す「インプ稼ぎ」の虚無
私たちが目にするリプライの多くは、以下の搾取構造で成り立っています。
- タップを誘発するだけの記号: ブルーバッジで優先表示させ、続きを読みたくなるような煽り文句をAIが秒速で量産。
- 他人の実績の再生産: 過去にバズった他人の内容をAIがリライトし、あたかも自分の意見のように投稿する無限ループ。
そこには情報のアップデートも発見もありません。あるのは、インプレッションという数字を掠め取るための、無機質なデータの羅列だけです。
3. 過渡期への郷愁:ニコニコ動画が持っていた熱量
情報の効率化を突き詰め、コストゼロで記号が量産される現代において、かつてのネットが持っていた「不合理な熱量」は失われました。初期のニコニコ動画のように、誰のためでもない情熱が形になり、計算外の衝突が文化を生んでいた時代。そこにはAIによる最適化も、収益化のための擬態も存在しませんでした。
「効率」の果てに、かつての混沌とした楽しさが消失してしまった事実は、技術的にも興味深いパラドックスです。
あの頃のインターネットには、収益化という「実利」が入り込む余地のない、純粋な『才能と趣味と称賛』だけが循環する空間がありました。2chの祭りやオフ会、ニコニコ動画の弾幕など、今のアルゴリズムに最適化された世界では決して再現できない、誰のためでもない情熱が爆発していたあの空気感こそが、ネットの黄金期だったのだと痛感します。
【お断り】
このブログ、実はAIに書かせている部分も多いのですが、「何を書かせるか」という中身の部分だけは、いまだに効率の悪い人間(私)が必死に考えています。
AIボットのような『どこかで見たような記号の羅列』にならないよう、泥臭い実務経験と、ニコ動時代を懐かしむオッサンの偏見だけは死守して構成しました。