映えないご飯

包まない大判餃子

さぁ、この料理何に見えるだろうか。

上に「餃子」と書いてしまっているので、

「餃子」にしか見えない?


餃子の上のおかずはボウルのまま


トマトは餃子と同じお皿、マヨネーズも雑にかかっている?


この人はズボラかなぁ?


それとも、


全部手作りだ!

お芋に、トマト、緑の野菜に、お肉

栄養バランスいいなぁ

と思う?






今日は『決めつけは行き過ぎると傲慢になる』というお話。



私は、人と関わる時、ある一面だけを切り取って、決めつける習性があった。



なぜなら、決めつけると安心するから。


肩書きや容姿や振る舞いを見て、


この人は、真面目な人


この人は、優しい人


この人は、強い人


この人は、楽しい人




それ本当?






夫、妻、会社員、大人、子供、女、男、日本人、茨城県民、、カテゴリー、ラベルをつけようと思ったら、いくらでもつけられる。



そしてどんどん広げていくと

人は人類、地球人にまでなる。笑






時系列もある。



美味しいものを食べた後かもしれない。


鳥にフンを落とされた後かもしれない。



この後、激辛料理に挑戦するのかもしれない。


この後、手術をするのかもしれない。


この後、旅行に行くのかもしれない。



目の前の“あの人”にも“私”にも

たくさんの世界がある。



それが最近ようやくわかった。笑




目に見えるもので決めつけるのではなく、目に見えないこともあることを理解したい。



私はそう感じた。

あの人はそう感じた。

それでよかった。




あなたも私もそれでいいのだ。




バカボン風でふわっと終わってしまっても、いいのだ。笑




おしまい。