村上春樹作品がどうして多くの人に好まれるのかを知る為、そして一度くらいは読んでおくべき作品の一つとして今回ノルウェイの森を読んだ。

まず、彼の作品はあまり無駄は無いのだが、性的な表現が多くナルシシズムを強く感じる為、僕には抵抗があり読み辛い面もある。
ここでの抵抗とは、性的表現が苦手という意味ではなく、他人の多数の性的成功談を具体的に知る事は少し気味の悪い事だからだ。

僕の解釈を含むあらすじは、概ねこの様なものだったように思う。

主人公ワタナベと、幼馴染のキズキとその恋人直子。
後にキズキが自殺をし、それを機に精神病の症状が出始めた直子は、専門的な精神病院に代わり、自己治癒療法を用いた環境の良い綺麗な寮に入所する事となる。
直子は寮でのルームメイトであり、先生でもあり、友達でもあり、そして患者でもあるレイコさんと親しくなった。
直子は、キズキの事や、キズキの自殺という辛い現実を共有したワタナベの事や、色々な事をレイコさんに打ち明け、時に大泣きをし、慰めて貰っていた。

ワタナベと直子の中でキズキという明るい幼馴染の存在はあまりにも大きく、この後の人生において様々な影響をもたらした。

ワタナベは大学の先輩に誘われ、ガールズハントをし、ホテルで一夜限りの遊びを繰り返した。
しかし心は癒えなかった。好きでもない女と明かす朝や、興味を持たれて色々質問される苦痛、その全てが億劫でうんざりした。それでも何かを埋めるようにして遊びを繰り返した。


ワタナベと直子は彼の自殺や死を受け入れる事に苦戦し、共有し、そして恋に落ちる。

しかし直子は京都の山奥にある自己治癒療法を用いた寮に入所している為、男子寮に住んでいたワタナベは簡単に会いに行く事が出来なかった。

それでもワタナベは数ヶ月に一度は外出許可を取り、直子に会いに行った。レイコさんとも仲良くなった。夜な夜なレイコさんのギターを聴きながらワインやウィスキーを飲み、大学の話をして笑ったり、恋の話を根掘り葉掘り聞かれたりし、三人で楽しいひと時を共有した。




ワタナベは大学の中で小林緑に出会う。
緑に母親は居ない。小さな書店の娘で、入院している父親の介護を週4日で行いながら書店の店番をし、家事をし、その合間に大学に行く。
彼女の性格は明るく、とても苦労しているようには見えなかったが、当然闇も抱えている。
彼氏は居るが、唯一ワタナベに心を開き、ワタナベも後に緑の存在の大きさに気付き、直子よりも緑を求めている事を知る事となる。

その事を直子に正直に打ち明けようと思ったが、まずレイコさんに手紙で相談した。
それによるレイコさんの返答は「直子の症状が思わしく無く、幻聴も始まってしまった。今は打ち明けるのは待ってほしい」という物であった。

ワタナベは、直子が良くなっていると思っていた。会うと楽しそうに笑い合い、寮では自分の役割を全うし、生き生きとしているように見えたのだ。そして、春にはここを出て一緒に暮らそうと伝えていた為、あまりに現実とかけ離れていた為にひどく落ち込んだ。

直子は専門的な精神病院にうつり、一時的に症状が改善され、再び寮に戻ってくる事が出来た。
レイコさんとの再会に喜び、そしてまたレイコさんの胸で泣き、慰めて貰った。

直子はその夜にこっそりと抜け出し、ロープで首を吊って自殺した。

レイコさんからの手紙でワタナベは葬儀に参加する。そして東京に帰り、狂う。

直子が良くなるという表面だけを受け入れ楽観的になっていた事と、直子の症状が悪くなるタイミングで緑に惹かれてしまった事に対し自分自身を許し難く、激しい自己嫌悪に陥った。

そして症状を打ち明けてくれなかった事、上手く伝えられなかった直子の事を悲しく思った。結局のところ直子はワタナベを愛してさえいなかったし、死を選択したのだ。
そう言った様々な要因がワタナベを狂わせた。

毎日大量の酒を飲み、髭も剃らず、寝袋を持ち、自分自身も何処へ居るのか分からなくなる程遠くへ行き、彷徨い、ひたすら泣き続ける。

凄く綺麗だった直子の身体は焼かれ、灰になったのだ。

レイコさんが東京に来てくれた。
引っ越したワタナベのアパートにきて、直子の密かな、そして悲しくない葬式を行った。
遅くまで酒を飲み、レイコさんは様々な曲をギターで50曲も弾き、ワタナベはその度にマッチで火を灯した。

そしてレイコさんはワタナベに性行為をしようと誘い、ワタナベもそうしようと思っていた、と答え自然に性行為を行う。

別れ際にレイコさんは「二度と会えないかも知れないけど、直子と私の分も幸せになりなさい」と言う。
レイコさんは寮を卒業し、知り合いが仕事の口を紹介してくれたから旭川に行くのだ。

ワタナベはこれでひと段落した為、やっと緑に全てを説明し、会おうと思い電話をかけた。
緑は連絡が遅かった為、少し不機嫌そうに電話に出る。「…あなたどこに居るの?」と。
ワタナベは、自分がどこに居るのか分からなかった。
どこに居るのかわからず、緑を呼び続けた。



物語はここで終わる。



この物語は沢山の人が読み、沢山の意見があり賛否両論あるのだということは容易に想像出来る為、まずは自分の解釈を持つ事にした。

この物語に共通していることは性行為は勿論だが、その上に生、死、共有という3つのテーマが存在している。
登場人物中の少なくとも4人が自殺をしている。

キズキ、直子。僕の文章では省いているが、直子の姉と、ワタナベの先輩の彼女であるハツミさんも自殺している。

生と死についてを表したものでは、死とは人生の終わりに来るものではなく、生の中に含まれる死であるということを、病気や生きている時の身体や発言で見事に表現されている。

生の表現を最大限に表現する一つの方法として、物語中で複数の性行為が書かれているように思う。
その為、エロ小説だの官能小説だの言われることがあるようだ。


そしてテーマのうちの共有について。

ラストにレイコさんはワタナベに二度と会わないかもしれないけど、私と直子の分も幸せになりなさいと言った事で、レイコさんは旭川で自殺をしに行くのだという解釈があるが、僕はそう思わない。

レイコさんは性行為前に子供が出来ないようにやってとワタナベに言った。死ぬつもりの人間が子供が出来る事を心配したりしない。
そして自殺の場所に、初めて行く旭川の土地をレイコさんは選ばないからだ。

最後にワタナベとレイコさんが何故性行為をしたのか。
それを受け入れがたい人や、嫌悪感を抱く人は少なくないが、これはテーマである共有を表していると思う。

直子は遺書も何も書かなかったが、唯一「衣類はレイコさんにあげて」とだけ残している。
死ぬ間際の人間が衣類の事だけを残すというのは奇妙である。
そして直子とレイコさんの身体のサイズはほぼ同じ。

レイコさんとワタナベは、ついに直子という存在を共有する唯一の存在となってしまった。
だからこそ直子の存在が残っているレイコさんと身体を重ねることは自然な事であった。


他にも直子は何故自殺したのだとか言われているが、作者自身解釈は読む人に委ねると仰っている。
僕は僕なりの解釈を持っている。
言葉選びのユニークさに加え、そう言った様々な理由を考える事が出来たり、描かれたテーマが色々ある事や、そこに自分を置いて体験するかのような面白さこそがこの作品の魅力であると僕は考える。