2018年9月末から10月頭に沖縄旅行した。新婚旅行以来なので実に4年ぶりである。


今回は友人との二人旅であった。この友人とは結婚前から毎年の様に沖縄へ来ていた。

以前から戦争の歴史には漠然とした興味を抱いていたが、大体の同行者は「気持ちが暗くなるから」と言い、戦争に関する資料館等に行く事を躊躇した。

その為、今回ひめゆりの塔へ同行してくれた友人には感謝した。

僕は沖縄戦や、ひめゆり学徒隊の悲劇について何一つ知らない。


中へ入ると、各章によってテーマが異なり、戦前の学徒編成や、動員に至る経緯を知る事が出来る。
又、戦時中の看護に関する道具や状況、介護状況。愚かな日本軍や米軍の事実等に触れた。

追悼部屋には、生徒一人一人の名前、人物像、何処でどの様にして亡くなったかが記され展示されている。
中には写真が存在しない生徒もいる。

70年以上も前のあの時代で、激しい戦場の中、そして証言となるかなりの人々が亡くなっている中で、どうしてここまで細かな事が記されているのか疑問に思った(その疑問は後に書籍で知る事になる)。

途中、年配女性がレプリカの豪の前で解説されていた。

今回の沖縄旅行は台風24号直撃であった為、早々にこの平和祈念資料館を後にし、ホテルへ急いだ。


僕は何かが乗り移った様に、すっかりひめゆり学徒隊に夢中になった。
友人と別れ、ホテルの部屋で夜中の2時までひめゆりの塔の映画を観たり、調べたりしていた。

資料館の豪のレプリカ前で解説していた年配女性は、平和祈念資料館々長であり、なんとかつてのひめゆり学徒隊である事が判明した。

2018年の台風24号は、地元の人も規格外の台風であるらしく、ホテルの窓からは雨が大量に漏れ、廊下の絨毯が水浸し、窓ガラスは割れたりしたらしい。
沖縄の台風は関東に住んでいる者としては想像を絶するもので、早朝から次のホテルへと移動しておいた。道中信号は機能せず、交差点は恐怖。道路には折れた木が大量に落ちており、対向車などに気をつけてながら避けて走った。



やっとの思いでホテルへ到着すると、外出禁止令が出た。チェックイン前であったが、ホテルの従業員方々は部屋に入れるよう対応して下さり、臨時で食堂を運営して下さり、カレーの食事にありつけた。
その日は一日ホテル内でゆっくり過ごした。
上の階でバーが運営していた。


例年は客足が少なく、もう店を畳もうかとしている頃、今年の夏は繁盛したそうで、未だにこうして運営しているのだとか。
この日は何処へも出かけられないのであるが、バーは貸切状態であった。
バーの店主を含む従業員方々は前日から泊まりで対応しており、苦労が見られた。

翌日はすっかり強風はおさまり、時々晴れ間が出る程。
夜に少し別行動時間があった為、国際通り周辺の観光を調べた。世界一狭い古本屋というのが気になり、行って見たが、既に店が閉まっていた。
この日は諦め、旅行最終日となる翌日に行った。

気になる本屋にて、気になる本と出逢った。
ひめゆり学徒隊を引率した仲宗根政善先生の、手記をまとめた本であった。
この出逢いを見逃す手は無かった。

即購入して飛行機の待ち時間、出勤時間、休憩時間などを利用し、少しづつ読んだ。

内容はあまりにリアルで、メディアなどでは知り得ない当時の詳細な状況を知る事が出来、夢中で読んだ。

登場人物の顔が気になり、また平和祈念資料館へ行き、この本と照らし合わせ、時間をかけてまわりたいと思った。

そして、ネットで調べても書籍を読み終わった後にも疑問が残る場合は、それをメモにまとめ、生存者である館長さんに聞こうという目標を立てた。

そして乙女たちの好きだった百合の花をたむけようと誓った。