こんばんわ!


今日はイサナキとイサナミがどういうご縁で夫婦となるに至ったかについてご紹介します。

期待されていた方には、申し訳ないですが、ドラマチックな大恋愛というわけではなかったようですチュー


まずは両神の血統について述べられています。


アメノカミヨノ ナナヨメヲ

ツクイトクチハ トコヨカミ

キノミヒカシニ ウヱテウム

ハコクニノカミ ヒタカミノ

タカマニマツル ミナカヌシ

タチハナウヱテ ウムミコノ

タカミムスビヲ モロタタユ

キノトコタチヤ


両神が7代目の天神となったそもそもの始まりは、トコヨカミ(クニトコタチノカミ)の時代まで逆上ります。

常世神が木の実を東の国に植えてつくったハコクニ(葉木国)の神が日高見の高天原(中央政府)に天之御中主神を祀りました。

また、橘を植えて、生まれた神子をタカミムスビと呼んで皆が讃えました。

この方が初代タカミムスビのキノトコタチ(東の常立)です。


解るようでいまいち解らない上、色々な解釈があって迷いました。

ハコクニは、トヨクンヌの別名とされていて、クニサツチの時代に東北地方(日高見)を収めたヒの尊の子供の一人という解釈で良いのではと思っています。

トヨクンヌには色々な別名があるのですが、それもトヨクンヌが一人ではなかったということを示唆しているのかなと思いました。

また、ヒタカミを一文字ずつ神の名と解釈してヒタカミは4人の国常立尊の子供(トホカミヒタメ)によって作られたという解釈もあり、面白いなと思いました。

タカミムスビは日高見を結ぶ(統べる)という意味があるということです。

讃えられるほど素晴らしい神だったのでタカミムスビはそれ以降、中央政府の要職名として受け継がれることになったとのことです。


ソノミコハ アメカカミカミ

ツクシタス ウビチニモウク

コノミコハ アメヨロツカミ

ソアサタシ アワサクウメバ

アワナギハ ネノシラヤマト

チタルマデ ノリモトホレバ

ウムミコノ イミナタカヒト

カミロキヤ タカミムスヒノ

ヰツヨカミ イミナタマキネ

トヨウケノ ヒメノイサコト

ウキハシオ ハヤタマノヲガ

ワタシテモ トケヌオモムキ

トキムスフ コトサカノヲゾ


初代タカミムスビの御子はアメカカミカミ(天鏡尊)で、ツクシ(九州)へ派遣され治めました。

アメカカミの御子はアメヨロズカミ(天萬尊)で第4代天神であるウビチニから養子ととして迎えました。

アメヨロズカミはソアサ(四国)も治め、アワナギ(沫蕩尊)サクナギ(析蕩尊)が生まれ、アワナギは根の州の白山地方とチタル国(山陰地方)まで統治しました。

全国に法の統治が行き渡った頃(ノリモトホレバ)、生まれた御子がイミナ(斎名)をタカヒトと言い、イザナギノミコト(カミロギ)です。

一方、第5代タカミムスビであったトヨウケ(豊受神 斎名タマキネ)の娘であったのがイサコです。この二神の縁談をハヤタマノヲ(速玉之男命)が結ぼうとしましたが、うまくいきませんでした。そこで、コトサカノヲ(事解之男神)が代わって説得し、二人は結婚することになりました。


ようやく両神が登場しました。

馴れ初めを見るに完全なる政略結婚ですね💧

しかも一回不調に終わっているし。

事解之男神は縁結びの神様かと思いきや、悪縁切りの神様として通っているそうです。

両神の結婚に支障となる縁を切ったとか、ひょっとしてそんな事があったんでしょうか...ガーン

カミロギとは単に男の神様という意味もあるそうですが、今回はイザナギノミコトとしました。

なぜ、わざわざクニトコタチから遡って血筋を確認したのかというと、つまり、タカヒトは4代天神の血を受け継いでいて、立派に天神となる資格のある出自ですよということを示しているようです。

地方出身ということで軽く見られるような事があったのでしょうか。


ケタツボノ ツサノツクバノ

イサミヤニ ウナツキアミテ

イサナギト イサナミトナル

フタカミノ マシワルトキニ

トコミキヤ トコハトホコニ

コオモトム


日高見の都(ケタツボ)の西南に位置する筑波のイサ宮で両神は互いに婚姻を了承しあい、イサナギ、イサナミと名乗られました。

両神の初夜には4代天神のウビチニ・スビチニの結婚で行われた床神酒の儀式が行われました。

永きに渡る平和のためには男女の天神(トホコ→トと矛)がそれぞれの役割に従い子を授かることが求められます。


ケタツボの意味は、ケタ(方、地方)ツボ(壺、水など物事が集中する場所)ということで、日高見国の都と解釈されるようです。

実際に何処かははっきりしないようです。

床神酒の儀式については、先にこちらの記事ででご紹介しています。



6代天神に世継ぎが授からなかったために世が乱れてしまったので、お二人に課せられた最重要使命は世継ぎを儲けることであったということですね。


やっと、御機の二が終わりました〜。

最後まで読んでいただきありがとうございますおねがい

お久しぶりです!

一度投稿したのですが、書いた文の大半が消失していたので、一旦下げておりました。最近多いんですよね。困るわ~悲しい

更新を期待して、時々訪れてくださっていた方がおられましたら、おまたせしてすみませんでした。

さて、6代目天神オモタルとカシコネの夫婦神に世継ぎが産まれなかったことから、徐々に世は乱れて行ってしまいました。
そこで白羽の矢が立ったのが、国生みの神として超有名な名なイサナキとイサナミでした。
ここでは、その両神の功績についてご紹介します。

フタカミニ ツボハアシハラ
チヰヲアキ イマシモチイテ
シラセトテ トトホコタマフ

2行目全然わかりませんねんけど···泣き笑い

「ちいをあき」とは千五百秋と書き、非常にたくさんとか永い年月とやくされるようです。ここでは、たくさんの収獲物と訳している場合が多いです。「いまし」は汝という意味のようです。「あしはら」は近畿地方という説と、日本そのものを指す説があるようです。「ト」はかつて八元神のトの尊が記した、「トのヲシテ」と思われます。

高天原の神々は両神に、要はあしはらの豊かな作物です。あなた方は、これを活用し、国を治めなさい。トと矛を授けました。

フタカミハ ウキハシノヱニ
サグリウル ホコノシツクノ
オノコロニ ミヤトノツクリ
オオヤマト ヨロモノウミテ
ヒトクサノ ミケモコカイモ
ミチナシテ ワイタメサタム
イサオシヤ

有名な国生みの場面です。
ウキハシとは両神の故郷であるヒタカミとネ洲、更に中央政府である高天原の支援の上に立ってと解釈されることが多いようです。それにより、ヤマトをよく調査し(サクリウル)、そこで得た知見(ホコノシツク)に則って立て直しを図り、宮殿を建て、中央政府をそこに置きました。
あらゆるものを生み出し、農業(ミケ)も養蚕(コカイ)の技術も確立し(ミチナシテ)、人々に伝授しました。
そうして国は再び秩序を取り戻した(ワイタメサタム)のです。
なんと素晴らしい功績でしょう! (イサオシヤ)

というような訳にあるようです。

さて、次回は両神の馴れ初めについてです~笑
甘いエピソードになるのかどうなのか、ご期待下さいウインク


最後まで読んでくださりありがとうございました爆笑





滋賀県の御上神社と三上山に行ってきました!


 



野洲駅からバスで10分程度ですが、一時間に1本しかないので、レンタサイクルかりれば良かったかも。


御上神社の裏参道の鳥居。
桜がきれいでした。


祭神は天之御影神。
後由緒書には天照大御神の御孫とのことです。

鍛冶の神であり、地元三上氏の氏神であります。
ホツマツタヱではワカヒメとアチヒコが結婚後移り住んだヤスカワのほとりの宮がここではないかという説もありますが真偽はわかりません。


本殿


楼門


境内を流れる小川


皮のシミが神様のお顔になっているという太鼓があるそうなのですが…これかなあ?

悠紀斎田と近江富士(三上山)

昭和天皇の大嘗祭でこちらのお米が選ばれたようです。
その向こうにあるのが近江富士こと三上山です。この角度だと富士山ぽくないですが、角度によってはきれいな円錐形にみえます。

御朱印を頂きたかったのですが、授与所に誰もおらず、諦めました悲しい

というわけで、三上山に上ります。
頂上に御上神社の奥宮があるので、ひとまずそこを目指します。

表登山道は傾斜がやばそうだったので、裏登山道から行きました。

ゴツゴツした岩が多いです。





頂上の磐座と奥宮



頂上までゆっくり登って45分くらいです。
ちょっとした広場になっていて、ベンチもあるので、ここでお弁当を食べましたおにぎり

下山は妙光寺方面へ。
三上山とは違って風化した砂岩の道で、足元滑りやすいです。地続きなのに、こうも地質が変わるのは不思議ですね。




勝手ににゃんこ岩と命名ニコ

三上神社に到着しました!
エメラルドグリーンの池の畔にひっそりとあります。





池の反対側からの景色。
お宮が木で隠されているのに趣を感じます。

素敵な場所でした。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございましたおねがい