恥ずかしいことですが、香川県に特攻隊の拠点があったことを初めて知りました。
バイクで通りすがりにたまたま見つけた石碑に気づかなければこのままずっと知ることはなかったかもしれません。
終戦間際にここ詫間湾から出発した飛行機は指宿をへて、沖縄へ向かって、四次にわたり、36機が出撃して52人が戦死しているそうです。
靖国神社に社頭掲示された英霊の遺書
絶 筆
海軍大尉 碓本 守 命
昭和二十年五月四日
南西諸島方面にて戦死
滋賀県大津市下平蔵町出身
二十五歳
拝啓、長い間御無沙汰許り致し、誠に申訳ありません。
皆々様、何時も御元気の由、慶賀に堪えません。私も
元気です。
愈々出撃です。長い二十五年、本当に有難う御座居ま
した。私は悠久の大義に生きて行きます。
私の今まで詫間に於ける状況は、私の教えた練習生が、
今度大津空に行きましたから、その練習生から聞いて
下さい。
では、皆様いついつまでも元気にやってください。
父上、母上、幸子、智、榮子、千ちゃん、皆さようなら。
守
皆々様
荷物の方も行李だけは後から送ります。
トランクは練習生が外出の時、家まで持って来て呉れ
ます。
練習生が遊びに来た時は、可愛がってやってください。
この練習生は、練習機で離着水だけやって後、取止め
になったのです。
残念ですが致し方ありません。
師範学校の方にも宜敷。
川瀬、猪飼の小母さんにも宜敷。
防空壕跡がここに軍事基地があったことをわずかに連想させます。
海側に行けば飛行艇が飛び立った遺跡も現存するそうですがここからは見えません。
芸能人の生活保護の問題が最近取りざたされていますが、国や家族のために命をかけて戦った英霊たちはこの状況をなんと思っているでしょうね...