そう、ただの昭和の家庭

 

ただ、私には姉がいたそうです

最初はそんな話も知らなかったのですが、お墓参りに行くと父から「お前のお姉さんがそこにいるからよく参っとけ」と言われていたのです

 

母もたまに話をしてくれました それを統合すると、、、こんな話でした

 

出産前の検診に行ったのですが、異常は特にない

陣痛もまだ間隔があいているからいったん家に帰ったそうです

でも、夜中に陣痛が来たから病院へ行ったら、当直の先生がいなかったそうです

どうやら先生たちは麻雀中だったらしいと・・・ほんと?と思いつつ

とにかく、生まれてきたときにはもう息をしていなかったそうです

 

なんて悲しい出来事

今であれば医療事故ですよね

たぶんなんも訴えなかったのでしょうね

 

こんな出来事があれば母もわがままなだったり、長男信者になったのも当たり前だったのかもしれない

今となっては想像でしかないが、、、

 

そんなある日、小学5年の私と母といざこざが起きた時だったと思う(記憶があいまい・・・)

「あんたのお姉さんが生きてたら、あんたはいなかったんよ」

って強烈なことを言われた

かなり強烈で、私はそのことをかなり引きずっていたと思う

 

だからかな、私は、母のために、家族のために何かをするのが当たり前だと思って生きてきた

父が単身赴任で不在だったため余計に不安でした(私はファザコンでした)

 

「自分のこと~1」でも書いたとおり、幼いころから次男の面倒は妹である私の係

強烈な言葉を聞いた後もずっと

彼が社会人になっても

次男が機嫌が悪くならないように、ご機嫌をうかがったり、母との仲介役になったり

 

そして、私は十代後半には父方の祖父の看病が必要になったとき、祖母や叔母たちと仲が悪い母の代わりに私が行き看病したり、、、(頻度は少ないのですが、病院での泊まり込みの看病です)こうすることが、あたりまえだと思っていた

 

でも、今の世の中ではこれをアダルトチルドレンというそうです

 

確かに、いつも違和感があった

私がアダルトチルドレンという言葉に興味を持ったころは、未だ「アルコール中毒の親を持つ子供のこと」でした

だから、わたしはなんだか落としどころがなくなっていた

 

そんな私はいつも不幸な話を聞くと、どうして自分はこんなにいい状況なんだろう

もっともっと不幸なほうが良かった

と、卑屈に考えていました

 

もう少しお話が続きます。。。疲れたので、ここらへんで一服