おいおい、ビンラデンがアルゼンチンの代表ユニ着てるぞ!
【Tシャツ漫談vol 1:ブエノスアイレス】
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アルゼンチンの昨年末のW杯優勝で、ふと思い出したのが写真右上のビンラデンTシャツ。
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創業二年目のものすごく古い商品写真なので、粒子の荒いひどい画像しか残ってないけど、あのビンラデインがアルゼンチンの代表ユニを着せられているのは分かるよね。
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発見したのはアメリカ経由で乗り込んだアルゼンチンのブエノスアイレス。当時はまだ⒐11から半年も経っておらず、アメリカでは【崩壊するツインタワーと悪魔のようなビンラデン】的な構図のTシャツが路上の屋台にもショップにも街中に溢れていた。
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だからこそ一転!ブエノスアイレスでこの代表ユニ・ラディンを発見した時は驚いたよ。
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アルゼンチンの人たちがどれくらいサッカーを愛し、誇りにしているか。
想像してみればすぐに分かることだけど、その代表ユニを着せるってことは🟰最上級の英雄!扱いってことだよね。
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『Tシャツ一枚に生の世界情勢が宿ってる』
って言うのが、この【Tシャツ漫談】のテーマの一つなんだけど、中南米諸国の対米感情がどんなものなのか。
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下手なニュース解説や論文より、この一枚のTシャツの方がどれほど雄弁か…。
まだ駆け出しだった俺は、めちゃめちゃ感動したっすよ。
そんな、思い出の一枚であります。
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という訳で、初回のTシャツ漫談は終わり。
不定期だけど次回vol2も楽しみにしていてくださいね★
 皆様。あけましておめでとうございます。
 仕事始めにまずは新年の抱負を…と考え始めて、ふと、昨年末にタモリが『徹子の部屋に』出演して、来年(23年)は
 『新しい戦前になるんじゃないですかね』
 と、サラリと言ったという話を思い出した。
 番組を見ていないので、前後の経緯はわからないけれど、いかにもタモリらしい、軽いのに重い、肩の力が抜けているのに鋭い、色々と考えさせられてしまう言葉だよね。

 が、しかし、俺個人としては新年の抱負だし、“言霊力”ってのもあるし、『戦前になる』 『戦争に向かって転げ落ちていく』なんて、暗い方向へ話を持って行きたいくないんだよね。
 例えばウクライナのことは、海の向こうの戦争なのか?いや、そうじゃねーだろ!と考えるならば、いま我々は戦前どころか戦時中だと考えることができるし、コロナとの闘いは、やっぱりこれは戦争だろうよとも言えるだろうし、
 であるならば、
 『今年は戦争を終わらせる年にしたい』と発言して、“言霊力”前向きに作用させる手もあるんじゃないの。

 あるいは防衛予算が二倍!年間5兆円も増えるから戦争がより近づくと、マイナスへマイナスへ考えてただダチョウのように砂の中に頭を突っ込むんじゃなくて、もっと素直にああ、そうか、5兆円分も防衛できるのか、戦争を避ける為に使えるのかと考えて、その使い方の中身を喧々諤々詰めて行った方が、本当の抑止力とは何か??五兆円の現ナマを前に本質的かつ具体的に使い道を果敢に詰めて行った方が、少なくとも砂の中に頭を突っ込むよりかはポジティブなんじゃないの?

 結果として、やっぱりミサイルが必要なら必要でまあ仕方ないだろうし、いや、ミサイルではなく小型で無数のドローンだって話になるかもしれないし、いやドローンじゃなくてやっぱり国防の究極は人口が増えることだと出産祝い金を一人1千万円あげますなんてことになっても、俺はなかなか良い案だと思うけどなぁぁ~。

 まあ、とにかく、拒否するんじゃなく諦めるんじゃなく、ポジティブな目標を掲げて本気で議論して、結果を測定して、また議論して検証して、本気で目標ににじり寄っていくことが大事なんじゃないの??

 と、新年早々色々考えて、ああ、そうか、タモリさんが意識無意識に期待したのも、こういうことかも知れんねぇぇ。と思った仕事始めの今日であります。
 で、俺自身の今年の抱負は?? う~ん、まあ、派手なものはなにも無いよ。ただやるべきことを粛々と、でもポジティブにやっていくのみッす。
 なんか、冴えないけど、とにもかくにも本年も、ではでは、よろしくお願いいたします!

 

 防衛予算を五年で二倍にしたいけれど、どう遣り繰りしても一兆円足りなくなるので、その分は増税で…

 って、話なんだけどね。これをもう少し詳しく具体的に書くと、23年度の防衛費は5兆6000億円らしいんで、これを五年で11兆2000億円にしたいって話なんだよね。
 だけど1兆円がどうしても足りないと…。
 国民の代表である先生方やエリートの極みのような財務官僚の皆さんが、選ばれし叡智を結集して喧々諤々話し合っても解決策が見つからず、苦渋の決断で増税にご理解をって、岸田さんはいつもの寝ぼけたような顔と頭で言っているわけだけど、
 ――いやいやいや、
 まったく選ばれていない俺が言うのもなんなんだけど、岸田さんとか財務官僚とかって、どうしてそんなに阿保なんだろう。
 11兆2000億円にどうしても1兆円足りないのなら、10兆2000億円で我慢すれば良いだけの話なんだよ。【2倍にしたい】の【2倍】ってのはただの数字だろ。要するに【大きく増やしたい】ってのが本質であって、【2倍】の【2】には、何の本質もないんだよ。

 目標を11兆2000億(2倍)じゃなくて、10兆2000億(1.821倍)に置けば増税の必要は無いし、防衛予算だって現行の5兆6000億から大幅に増えたことになる。何の問題もないじゃんか。
 あの懐かしのレンポーさん風に言うのであれば、

 『1.821倍じゃ駄目なんですか??』

 って話だよ。いや、ぜんぜん良いだろ。
 さらにもし提案していいなら、目標を10兆ぽっきり(1.785倍)にして、余った2000億円を幼稚園の保母さんたちの待遇改善に使って、少しでもストレスを解消してもらうとか…。それくらいの発想の転換がなぜできないんだろう??
 岸田さんの場合は、ただひたすらに薄らぼんやりしてるから気づけない。って可能性も大だと思うけど、財務官僚の場合は…。気づかないふりで増税したいのか、いや、やっぱり彼らも実社会ではけっこうな薄らボンヤリなのか…。

 とにかく俺の提案は、増税なしで、しかも2000億保母さんに配れる『1.785倍じゃ駄目ですか?岸田さん??』

 カタールでのW杯!ずいぶんとバッシングされてるんだな。つまり、ピッチ外のことで…。
 欧米及びそのお友達の“先進的で正しい価値観”を持った人たちからすれば、確かにカタール大会関係者の、特に多様性をまったく認めないような発言は、逆にまったく認められないのだろうし、腹が立つことも多いんだろう。

 が、しかし、こういう時につも俺は不思議にも疑問にも思うのだけれど、
 “多様性を認めろ、認めろと言う人たち”は、“多様性を認めない、認めたくない、多様性は間違っていると考えると人たち”の多様性は認めないで、バッシングするんだな。ということで、
 別の言い方をするならば、自分の価値観(多様性を尊重)に異を唱える人たちをバッシングするのであれば、その人たちのことを多様性を尊重する人たちと呼ぶのは、あるいは自称するのは、ちょっと変なんじゃないの??
 と、どうしてもついつい、突き詰めて考えてしまう。

 誤解されたくないので念のため言っておくと、俺自身の価値観は“欧米及びそのお友達の“先進的で正しい価値観”を持った人たち”とだいたい同じか、むしろ彼らよりもっとリベラルなくらいで、どれくらいリベラルかと言えば、一例を上げると、たぶん八歳だったか、九歳だったか、とにかく小学校の低学年の頃に、『カルーセル麻紀という元男の女の人がいて、その人はモロッコに行っておちんちんを切って、それで女になったらしいよ』と友だちに聞かされ、わッ!凄いなぁぁ~、世の中にはそんなに根性のある人がいるんだ!意志が強えぇぇなぁぁ~と、子供心ながらにリスペクトしてしまったくらいで、

 そのナチュラルボーンにリベラルな、ある意味では天才的に多様性を持って生まれた俺の目から見ると、
 多様性を認めないという理由でカタールのW杯をバッシングしている、自称多様な価値観にリベラルな人たちは、ちっとも全然多様な価値観にリベラルな人たちのようには見えない。

 カタールのW杯関係者の人たちが多様性を否定するような発言を繰り返すその根本には、イスラム教の価値観があるわけで、宗教の教えがどれほど人に深く食い込み、その取り扱いがどれほど難しいか、多少なりとも理解するのであれば、性急なバッシングは何の意味も持たない。もっと粘り強い、穏やかな、そして相手をリスペクトする姿勢を持ちながらの話し合いで、じりじりと妥協点をさぐっていくしかないんだと。もし本当にリベラルで、多様な価値観を尊重する姿勢を持った人なら、ごくごく自然に理解できるはずだと思うんだけど…。

 ま、いいんだけどさ。
 俺はただ気持ちよくサッカーに集中したいだけだから。
 ただピッチ外の雰囲気が余りに険悪だと、やっぱり楽しめなくなっちゃうだろ。それでちょっと、言いたくなったんだよ。

 長い旅をしていたころの話。
 チャドから中央アフリカ共和国へ抜けるルートが、危険な上に連日タフで、それでもヘトヘトになってボーダーを抜けると、国境の町だというのに、今度はホテルが見つからなかった。
 地元の人に助けてもらって、最終的に辿りついたのは教会に付属した宿舎のようなところで、大丈夫かなぁ~とは思ったのだけれど、なにしろ疲れているし、案内されるままベッドに転がり込み、そのまま泥のように眠った。
 眠ったつもりだったのだけれど、一時間もしないうちに部屋のドアを慇懃に叩かれ、白人の神父さんだか、牧師さんだかに起こされた。
 「君は、キリスト教徒なのかね?」
 寝起きと疲れでまだボーっとしている俺に、その白人の神父さんだか、牧師さんだかが言った。
 「いえ、特に宗教は持っていません」
 俺は言ったが、このままではマズいと思い、「あっ、でも、このままここで一晩眠れば、明日の朝にはキリスト教徒になる気になるかも知れません」
 俺は付け加えたが、そんな頓智はまったく響かなかったらしく(或いは俺のフランス語が酷すぎたのかも知れないが)、その白人の神父さんだか、牧師さんだかはまったくクールにこう言った。

 ここは信徒の為の宿舎だ。キリスト教徒でないのであれば、出て行ってくれ。

 と。言葉遣いこそ丁寧だったが、ほぼ命令に近かった。長旅で疲れているんです。とも、他にホテルが見つからなくて…とも、粘る気持ちも起こらなかった。疲れた体をベッドから引き剥がして、俺は黙って荷物をまとめた。

 もちろん、宗教は色々だし、それに関わる個人個人はもっと色々。
 それは理解しているのだけれど、以来俺はどうしても、どんな宗教・宗教人だろうとイマイチ、信用する気になれない。

 そしてここからが本論なのだけれど(長い枕で申し訳ない)、そんな訳で当然のことながら、俺は公明党のこともまったく信用していない。
 どんなにニコやかに平和だの愛だの言っていても、いざとなったらどうかな??本当の有事になった時に、信者仲間以外の一般人にも公正に、公平に接することができるんだろうか??どうしてもそこを、色眼鏡で見てしまう。
 例えば今回、統一教会がこれだけ問題になり、救済を待っている人たちが多数いることが分かっているのに、公明党の態度はどうにも及び腰にしか見えない。
 色眼鏡で見られるのが嫌なら、むしろ積極的の法律を作り、法律を改正し、宗教団体への献金問題へ、メスを入れていくのが公正、公平、公明な態度のはずなのに、公明党がやっていることは、むしろその逆に見えて仕方ない。余計な法律を作って、自分たちの金庫にまで手を入れられては堪らないと、逃げ回っているようにしか見えてこない。

 もしそれが色眼鏡だというなら、自民党の穴を蹴っ飛ばして、ギンギンに役に立つ、本当の本気で宗教と金の問題に切り込んで行ける、バリバリの法律を作ってくれよ。

 疲れた旅人に空いているベットすら差し出せないのか、それとも自分のベッドを空けてでも異教徒を休ませるのか。俺は色眼鏡で、見てるぜ。
 

 三菱商事の決算予想上方修正で一兆円越えッ!(ヒューッ)
 他にも過去最高益とか決算好調堅調な企業は軒並みあって、だから黒田さんの円安容認、異次元緩和維持一点張りの姿勢が悪いことばかりではない。悪いどころか良いのかも…。というようなことは、文学部出身の金融音痴の俺にも理解できないわけじゃないんだけれど、
 が、しかし、
 その好調堅調な決算の“光”が、『異次元』だとか『バズーカ』だとか、そうした極端な金融政策、意地でも緩和維持の自分の姿勢によって支えられていると胸を張るのであれば、その極端な政策の“影”の部分、放置された円安に苦しむ企業や物価高に苦しむ人々に向かって、
 理を尽くして説明する
 (今はこうだけど、将来はこう良くなりますと)見通しを語る
 補填を考える
 いまは耐えて下さいと、心を尽くして詫びる

 のも、また同じくらい重要な仕事のはずなんだよな。

 そうした黒田さんからの“説明”や“詫び”や“見通し”はいつ語られるんだろうかと、俺はもう何か月も待っているんだけど、……黒田さん、語らないよねぇぇ~。
 余りに何も語らないものだから、最初は黒田さんのことを『心が冷たいのかな』とか、『お仲間の方しか向いていないのかな』とか、思っていたんだけれど、いやいや、どうも、そうではなくて、
 最近ではこう思うようになった:

 ああ、コイツ、冷たいんじゃなくてバカなんだな。

 と。黒田さん自身は自分のことをバカだなんて、生涯一度も本気で思ったことも、言われたこともないんだろうし、もし言われたと知ったら「何を言っているんだ君ッ!僕は東大法学部卒だぞッ」とか、またバカなことを言い出しそうなので、もう少し説明すると、
 文学が足りてないんだな。
 という意味だ。
 文学とか哲学が足りてないから、心にひだがあるのを知らない。あるのを知らないんだから、ひだが読めない。ひだに分け入る言葉をつむげない。きっと合コンとかに行ってもトークがキレずに女を口説くのも、下手だったんだろうな。いや冗談ではなく、国民生活にこれだけ影響のあるポジションを担うからには、ドストエフスキーとシェークスピアとフォークナーを八割がた読み込んだ上に唐代の漢詩を20個ぐらい暗誦するか、或いは実戦派なら二十代のうちに合コンを100戦くらい戦い抜くか、その両方か、とにかく文学、哲学系の素養もまた必須だろ。
 この状況を、もしハッシュタグにするなら:

 #文学なめんな #哲学もまた必須 #合コン100戦

 と、バブル期文学部出身者としては付けてしまうなぁぁ

 真剣に悩んでいる人たちには申し訳ないんだが、
 安倍さんの国葬は是か非か、基準を決めろ、基準はなんなのか?!
 という議論を聞いていると、後輩の女子が中学二の時に、初めて出来た彼氏的な少年(一つ年上の中三の先輩)に
 『わたしたちのコレは、男女交際なんですか?!』
 と思い切って質問したら、むしろ激しく気まずくなってソッコーで別れた。という話をつい思い出してしまう。

 話が見えにくと思うので整理すると、当時わたしとその女の後輩は大学生で、この話は大昔の恋愛初心者時代のチョー恥ずかしいエピソードして語られている。
 彼氏は都内の男子校に通う中三でサーファー、後輩は同じく都内の女子校で中二、待ち合わせて一緒に海に行き、彼がサーフィンをやっているところを一日眺めて、そのまま帰る。というデートが何回か繰り返された後に、業を煮やした後輩女子が上記の発言をして自爆した。という次第。

 ああ、わかるよ、そうなんだよね。と、たぶん俺は言ったんだと思う。
 手をつないで800メートル歩いたから付き合ってるとか、キスを五回したら男女交際なるとか、そんな基準は何ひとつ無いし、仮に中学生ながらその上の関係に発展していたとしても、“付き合ってない”場合は付き合っていないし、逆に手すら握っていなくても、〝付き合っている〟場合は付き合ってる。そういう恋愛の本質的な機微みたいなもんが、中坊くらいじゃどうしてもまだ分からなくて、ついテンパっちゃう。でも、わかるよ。
 俺が言うと、
 いやあ、お恥ずかしい…。
 後輩女子も言ったんだと思う。
 当時の我々だってまだ二十歳そこそこだったはずだし、恋愛経験が特別に豊富だったわけではないけれど、とにかく既にそれくらいの分別はつくようになっていたって話だよね。

 翻って国葬の話だけれど。
 まず一般論として、誰かの葬儀が盛大すぎるとか、地味すぎるとか。アイツの人生はこんなもんだから、弔い方はこの程度で充分だとか、いや足りないとか、そういう話を声高にすることには常に違和感を持つべきだと思うんだよね。ましてや、他人の人生をスペックで測って、査定しようとする行為にはもっと。

 もちろん、国葬(国の予算を使う)である以上、議論はあるべきだし、逆にないような国は気持ち悪いけれど、国葬に反対する人でも常に、そこに畏れや敬いの感情を欠くべきではない。そのことも同時に強く思う。
 安倍さんを敬えとか畏れろとか、そういうことではもちろんない。誰かの“生”を値踏みすることそのものへの畏れ、“死”そのものに対する敬いのことだ。

 国会議員が中学生並みの行動を取るのは毎度のことではあるけれど、特に国葬への招待状をSNSに晒して、『わたしは行きません!』などとやっている連中は、もう本当に救いようがない気がするよ。

 いや、中学生並みなどと書いたら、純粋で懸命な彼らに失礼か。

 そうだ、ロシアについてもっと知ろう!
 突発的に思いついて、佐藤優さんの『蘇るロシア帝国』(文春文庫)を買ってきて始めの一歩として読み始めたんだけど、恥ずかしながら二か月以上経ってもまだ読み終わらない。
 いやだって、文庫で2cm近くもあるし、ゴルバチョフ時代、ソ連末期のモスクワを疾走する若き佐藤外交官の行動はとにかく密度が濃い。加えて宗教、民族、政治etc教養が半端なく高すぎて、決して退屈な訳じゃないんだけど三ページも読むと耐えられないほど眠くなっちゃう。
 それでも投げ出さずにほふく前進のように読み進めているのは、『そうだ、そう言えば、ソ連ってどうして崩壊したんだろう??』当時も自分は生きていたはずなのに、時代の空気感みたいなものをちっとも思い出せない、いや知らないって負い目があるからなんだよね。
 ソ連邦という、あれほど巨大強大で、強固に思われたシステムが、ジェット燃料満載の飛行機に突っ込まれたわけでもないのに、印象的にはほとんど一夜で、NYの貿易センタービルみたいに自壊してしまった。それはなぜなのか…。

 いやいやもちろん、文庫本一冊読んだくらいで(しかもまだ読み終えてないし)そんな難しいことが理解できるはずもないんだけど、ただ、ちょっと、途中に面白いなあと思えるエピソードがあったので、ご紹介しようかと。

 若き佐藤外交官は、政府の中枢に直属する各種の研究機関にも出入りして研究者たちと親交を結んでいくんだけど、その際の手土産にマイルドセブンをワンカートンとか持って行く。話をしていると研究者たちが、煙草に火をつけ、消してまたつけ、同じ煙草を(要するにシケモクを)何度も大事そうに吸っているのを見たと言うのがその理由。
 実際にその煙草の手土産は喜ばれ、ある研究者が少し決り悪そうに礼を述べながら言う。「この国のインテリには煙草とコーヒーが不可欠なんですが、もはやソ連邦は我々にそのどちらも、煙草もコーヒーも満足に供給できなくなってしまったのです」

 つまりメチャメチャ乱暴に要約すれば:
 帝国は民衆の食糧不足で滅ぶのではなく、エリート層の煙草とコーヒー不足で滅ぶ

 そんな一面も確かにあるんじゃないだろうか。
 もちろんこれは俺の勝手な解釈で、佐藤さんが直接そう書いているわけじゃないんだけど、それでもこの些細な会話を記憶していたということは、若き佐藤外交官もそこに本質的な何かがあると、咄嗟に感じ取ったということではないか…。
 そして俺は、希望も含めてさらに妄想してしまうのだけれど、今回の対ウクライナ戦争で、ロシアは何が不足すると敗北するんだろうか??
 食料やエネルギーは十分に自給できると聞くし、兵士や兵器の不足であればプーチンの腹の括り方一つでまだまだ補えるはず。もっと意外な、今回は煙草とコーヒーではないかもしれないけれど、それに相当するような何かの不足が、ロシアの人たちの厭戦を誘い、プーチンを敗北に導くのではないか。引導は、
 兵器ではなく煙草とコーヒー
 まあ、ちょっと、文学的すぎるけど、な。

 

 民主主義への挑戦だの、言論封殺だのテロだの…そんなロマンチックな話では全然なくて、ただの拡大自殺だろうと自分的には解釈している。
 人生に希望が持てず、飽き飽きしてしまって、でもひっそり自殺するくらいなら、いっそ最後に派手に大事件を起こして…。という、最近随分と増えているように感じる“アレ”だ。
 安倍元首相が、それほどの大物だとも、巨悪だともまったく思わないが、犯人にとっては手ごろな“大物”であることは確かだったんだろう。

 繰り返すようだが、テロではなく拡大自殺だろう。
 だから政治家の皆さんが今やらなくてはならないことは、『言論封殺は許さない』だの『暴力に屈しない』だのトンチンカンな条件反射で被害者ぶることではなく、自分たちの無能、無策、党利党略だけの政治が、また拡大自殺者を生み出してしまったと、加害者の意識を持つこと。それが最低限のスタートラインだろう。

 もちろん、どんな善政を敷いたところで、自殺者をゼロにすることはできない。それは当然だろうけど、それでも政治次第では、希望を持ち続けられる人はもっと増えるはずだし、自分の人生が詰んだと感じる人をもっと減らすこともできるはずだ。

 この際ついでだから暴論を書けば、いっそ段階的に最低時給を2000円にしたらどうなんだろう。
 いや、バカ!そんんことたした倒産の嵐だぞッ、首切りで失業者が溢れるぞッ!と言うのかもしれないが、いや、別に、倒産しても首を切られても、時給2000円でバイトできるなら、いいじゃんかッ、全然余裕だよ、希望はあるじゃん!とも言える。

 こんな安月給で正社員やってるより、時給2000円でバイトするぜ、搾取もいい加減にしろよタコ社長がッ!と退職する人も増えるだろうし、そうしたら対抗上、正社員の給料も上げざるを得ないだろうし、いや、困るんすよ、ウチは社員をブラックに使って実質時給500円くらいで働かせない限りは倒産してしまうです(泣)などというタコ経営者の方のは、さっさと退場していただき、時給を最低2000円支払ってもビジネスを回していけるビジネスモデルを持った経営者の方たちの方へ、どんどん新陳代謝していただく…。

 もちろん、社会は大混乱するだろうし、物価もメチャクチャ上がるだろうし、だから生活だって結局はそんなに楽にはならないのかも知れないけれど、でもそうやってスパイラル状になにもかも上昇して混乱して、ワシャワシャ動いていく社会の方が今よりずっと漠然と、希望があるんじゃないかな。
 日本はそろそろ、それくらいの暴挙に出る時期なんじゃないのかな。
 日本を本気になって変える案は、他にももっとあるだろうし、もう本当に、変えようよ!
 安倍さんの死が、もしその切っ掛けになるなら、安倍さんもせめて嬉しいんじゃないかな。

 とにもかくにも、合掌。


 脳科学者・中野信子先生と三浦瑠麗女史が不倫に関する対談本を出したと聞いて、さっそく買いに行ったんだけど、近所の本屋では入荷分はすでに売り切れだという(おいおいおい、売れてんのかよ、不倫本?!)。
 とは言えせっかく出かけたんだからと、ほぼジャケ買いで(いや、タイトルに妙に惹かれてと言うべきか)、マルクス・ガブリエル先生の

 『わかりあえない他者と生きる』──差異と分断を乗り越える哲学──(1020円)

 ってのを買ってきて読み始めたんだけど…まあ、なんて言うか、説教臭くってな。
 でも、考えてみれば“不倫本”を求めて行ったのに“倫理の教科書”みたいのを買ってきちゃったんだから、退屈なのは理の当然で、だから我慢して二時間ほど読み続けていると、こんな一説に出会ってドキリとした(いや、正確には元は取った!と喜んだ)。

 ガブリエル先生曰く:
 (昨今の民主主義の状況を俯瞰して言えば)『今では中道がラディカルな立場』

 なんだそうだ。
 どういうことか?
 具体的な例としてガブリエル先生は分断が著しいアメリカの政治状況をあげて、上品な言葉で解説しているんだけど、時間が無いので代わりにザックリ汚い言葉で俺が理解したところを書くと、今アメリカでは、
 傲慢、わがまま、差別主義者でルール無視のトランプの糞野郎だけは許せない!!
 という集団と、
 老いぼれ臆病、口先だけで結局エリートの味方しかしないバイデンなんかお断り!!
 という集団の、両極端の二種類しかなく、そのどちらかの極端な集団に属することこそがむしろ平凡で、何も考えないでいればいるほど、自然にどちらかの“極”に取り込まれてしまう。
 自分の頭で考えて、見て、発見しながらどちらの“極”にも属さず、むしろ積極的に中道の立場を取り続けることの方がむしろ困難で、ラディカルな姿勢なんだ、と。

 中道こそがむしろラディカル!!

 いいねぇぇ~、気に入ったッすよ、俺はこの言葉。1020円でこの刺さり具合はすごいコスパ!!
 考えてみれば日本でも、オリンピックの開催の是非で、ワクチンで、安倍死ねで、この何年かは両極端の対立ばかり。SNSでも過激な言葉ばかりが目だって、正直気分が悪かったんだけど、過激な言葉や意見がラディカルかというと、そうじゃないんだよな。むしろ両極に分かれた“両極平凡村”で、ただ何も考えず仲間内だけに通用する言葉で、平凡に語っているだけってことなんだよな。
 つまんないよな、そんな言葉。てか、だせーよな、そんな連中!
 中道って、なんか半端な感じがして、今まで胸を張って言いづらいところがあったんだけど、そうじゃないんだよね。右も左も、どちらもズバリ批判して、右でも左でも、良いなら良いとどちらでもハッキリ褒める。集団に頼らず、村にまぎれず、自分の頭で考え、自分の言葉で喋る、誰にも寄りかからない中道こそが、実は今どき一番クレージーで、クールだったんすね。

 というわけで、じゃあガブリエル先生の教えは一応いただいたんで、明日こそは当初の不倫本を求めて都会の本屋へ行こうかと…。