どなたか分からないけど、きっと私のフォロワー様の誰か、だと思う。


人が亡くなったのに絵文字などつけて、

いくら薄情とはいえ、まあ、ひどい、もう見ないとご指摘を受け、当然だと思った。



確かに、そのように感じられた方には申し訳なく、

嫌な思いをさせたその他の方にも謝罪申し上げます。




解離性障害を長く患ってますが、それでも、少し最近感情というのかな、そんなものが湧きつつあり、



確かに、人が亡くなるのに私は、何も感じなくなってしまったことについて少し考えた。



お坊さんは、「生前どんなことがあっても、皆極楽浄土へ行くよう、祈り、偲んでください」


等と仰る。



私は様々な人の死に様を幼い頃から見てきた。


母方の祖母は、寡黙で働き者で、叔母が嫁に来た時だけ反対して大声出した時、私は幼いながら、驚いた。


その内容は後に知ることとなる。


祖母は亡くなる時苦しんでいた。

私の見た中で、あんなに我儘な祖母を見たことがない。

「おばあちゃん?」


そう言っても

「死にたくない、助けてほしい、もっと生きて居たい、やりたい事沢山ある、助けて」


私の腕を掴み泣いていた。

私はただただ、驚き、恐怖も感じた。

生への執着……。



その後、すうっと眠り、亡くなった。

母の涙を、誰かが亡くなる時の涙を初めて見た。



その後、私を1番可愛がってくれた祖父が、夜中仏壇の前で何か毎日祖母の位牌と泣きながら話しているのを見て、


祖母が亡くなって3ヶ月で亡くなった。



私は幼くて、何故入院したか分からず、おじいちゃんがいつもなくてはダメな、キャスターマイルドのタバコを、


看護師さんから禁止されていたので、

可哀想だと思って、


その頃は自販機で買えたから


※写真お借りしました。


多分この型かな、持っていった。

祖父は喜び、お見舞いから帰る時上を見たら、窓から私を見ていて、


笑顔を見せて居たから

私は笑って手を振った。



その後、すぐまた亡くなった。


人は簡単に死んでしまう、死んだら何処へ行くのか……。



そんな事を考えるようになり、お坊さんに問いたが、


「極楽浄土です」


そうか、もう苦しくないのか、その時はそう思った。



葬儀がすごく立派で、

たくさんの人が来た。


棺の中の亡くなった祖父の顔は祖母と違って笑ってるように見えた。



皆で花を棺に入れて最後のお別れをする。

母がそのとき、私のことを見て、

「これ、喜んでいたよ」



キャスターマイルド、封を切って居ないもの、

そう、私が買って渡した物だ!!



私はそれを取って祖父の手に、

「おじいちゃん、これも持って行って!」



その時よく分からないけど涙が出た。

たくさんの祖父との思い出が蘇り、そして、最後に病院の窓から手を振った、

あと、キャスターマイルド。



涙は止まらなく、

人が亡くなった時、記憶の中で私が泣いたのは、

その1回だけだ。



その後肺がんを患っていたと知る。

それなのに、タバコを私は祖父への最後のプレゼントに選んだ。



人は必ず死ぬ。


肉体が骨になるのを何度も見た。

けれども、

思い出す度、私の心の中で生きている。皆。



生前の生き方が、大切なその人達を傷つけた人の死は、私には偲ぶ、という事は、まだ出来ない。



そう、思ってた。

コメントを頂き、確かに、薄情で軽薄なのは否めない。


けれども、そんなに常識ばかり重んじる事も正直無意味だと思ってる。



私や、私の愛する人たち、家族。

今とても強い繋がりがあり、また頑張ろう、


三回忌や、7回忌、彼岸、お盆、離れ離れになった家族や親戚が、それぞれの人生、血の繋がりを持つものが、集うこと。



人の死をピックアップするより、私は生きているもの達の事の方が重要だ。


その後、誰も墓参りに来ないような墓になるのは、

生前の行いと、

その後の繋がりが薄いからで、



例えば叔母の死によって、どうしようもなかった、引きこもりの、残された従兄弟たちが、


生きる希望、目標を持ったこと

の方が私にとっては嬉しく、



また長く続いた商売を、私ら兄弟でもサポートしていくという、弱き者がやっとやる気を出したことの方が重要で、




この、切れた葉の弱々しい根がまた大きく張って行く様な、自然の不思議に、人の死を投影するだけで、それ以外、何も感じない。




最後までお付き合い下さり大変ありがとうございます。不愉快に思った方、大変申し訳ありません。