精神的な負担を家族に重くかけるのは良くない。
賢者は自分のためにも他人のためにも決して悲しまない
と読んだが、(また読書好きの知識)よくよく考えてみると、本当にそうだ。
私は賢者ではないのだが、心を病んだ時に、父がつらそうな時に、気がついた。
悲しみはあるけれど、つらさをため込まず、一人の時にこまめに対処。
人前で悲しまない。
死ぬなんて言うのは、自分を愛してくれる人だけを、打ちのめす事なのだ。
自殺したい気持ちがわからない私ではないから、きちんと薬を飲んで、無理はしない。
癌という謎に満ちた生命体?については、専門家に任せて、ある意味運命の女神様は、拝み倒して、私は私の体や、気持ちを支える努力をする。
皆様で、あるいは個人で、楽しい事をしていれば、案外社会はうまく回って行くのではないか、と思う。
資本主義とか民主主義とかでかいところではなく、まず家庭が笑顔に満ちた場所にする事が、幸せの近道なように思う。
本音は家庭を調えるのに憧れて、ピアノにかけるレース糸を買って編みあげた事がある。
しかし、外側に自分の栄養みたいなトランペットや音楽で繋がっている仲間がいなかったら、どうなっていた事か。
昼間は、家族は留守。庭に猫二匹。気まぐれでつれない彼女達なので、お腹がすいて、化け猫みたいな悲鳴を上げるまで遊んできて、餌をねだるだけ。猫も様々な個性がある。
瞑想然り、人間は様々な要素から生かされている事に気づいたら、心から感謝の念がわいてきた。