ponkosei07さんのプロフィールページ

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兵庫県で自営業の両親から

3人兄弟の第2子

長女として産まれ

34歳まで実家でぬくぬくと育ちました照れ


幼少期の私は人見知りがひどく

親戚のおうちへ行くと一切しゃべらない

はじめましてのお友達にも

なかなか話せない内気な子でしたてへぺろ


偏食はひどく

白砂糖やミロ(わかりますかね(゚ー゚*))を

抱えて食べるほど甘いもの、大好きでしたガーン


すき焼きをしても糸こんと麩だけ食べる


ご飯にかけるのはピンク色の桜でんぶ


なので、血流悪すぎて、霜焼け爆発

手足の指先はもう見られないくらい

ひび割れてピリピリ痛い状態でしたえーん


そして。アリに噛まれる、、、えーん



なんで?わたしだけ?

なんで毎年こんなに苦しまないといけないの?


と疑問ばかりでした


偏食がひどいので、給食時間は地獄。

食べ終わるまで掃除中であろうと

食べるまで座らされ、

それでも食べ終わらないときは

放課後に教室でポツンと食べていましたショボーン


意地でも食べたくない私

最後の一人になると

そっとお弁当箱に

ぎゅうぎゅうに詰め込み、帰宅えー


当時飼っていた犬に食べてもらっていました


母は、そんな私をとがめることはなく


そうか~、お母さんも苦手なものが

多かったけどいつか

たべられるようになるわな


そんな言葉に救われたけれども

砂糖は止めてほしかったなと今は思いますガーン



食べることがとにかく嫌いだった

小学2年生の頃テレビで

アフリカの子達が食べられなくて

栄養失調の映像を見たときに

「はっ」としたのですびっくり



私の周りには食べ物がたくさんあるのに、

食べないでいる私はなんて贅沢なんだ!!

この子達に失礼だびっくり


ちゃんと食べよう!!


そう決めたら

はじめてのお野菜もどんな味か食べてみようおねがい


そんな気持ちで食べてみると


おいしい~ラブ


あぁ、なんでこんなにおいしいものを

今まで食べへんかったんやろと後悔したショボーン


それからは食べ物に感謝し

食べることが大好きになりましたラブ



小学生4年生の頃

近くに住む従姉妹のお姉さんが

クッキーを焼いて作ってくれたのが

美味しすぎて

ショーゲキラブ


そこから

私も作りたい!!ってことで

母の料理本を引っ張り出し

クッキーなどを作り始め

気がつけばシュトーレンも焼いていたてへぺろ



作ったものを喜んでもらえる

と思って

お母さんに見せると


おやつやのーて、おかずを作ってほしい


まじかびっくり


まじかショボーンタラー


まじかよえーんアセアセ


母よガーンガーン


今でもしっかりその言葉が記憶に残ってるネガティブ


そこから、おやつを作る意欲は消失


でも、、母に認められたい一心で

晩御飯の手伝いに台所に立つと

私は切るのが遅い、できない

時間との勝負で生きてる母から


もー、じゃま

見ててイライラする


……私はお手伝いしてお母さんの助けが

したかったんだよな

認めてもらいたいのよえーん


そして、お料理も覚えたかってんえーん


そんな気持ちをつたえることはできず


もう料理は母に任せた

私はしないと決めたえー


ただ、9歳年の離れた弟には

お腹空いたといわれたら

卵焼きしたり、酢の物、煮物は作っていたなぁニコニコ


そう、食べてくれる人がいると

その人を思いながら作ることは好きだったおねがい


看護師を目指すきっかけは

9歳離れた弟の出産時に

母が言っていた言葉


看護師さんがそばにいてくれたから

安心して出産できた

本当に嬉しかった


そんな言葉を聞いて、

人に安心感を与えられるって凄い!!

そこから、看護師への憧れを抱いたラブ


看護学校→就職先も地元


不規則な仕事で、いつもクタクタ

13年間母は支えてくれた


ご飯は母がいつも用意をしてくれていた

なので。

私は一切作らない、作れない



私の趣味のスノーボードは

最終的には一人で車泊するくらい

はまっていた口笛



そんなときに

スノーボードの友人からの紹介で

主人と出会い結婚飛び出すハート





主人は転勤族

結婚したときには福岡へ


身内も頼れる親戚もいなーい


料理はクッ○パッド様にお世話になりながら

なんとか、毎日作っていた


時には紫色(アントシアニン)のお味噌汁を出し

主人にはドン引きされた驚き


茹でたら色素のアントシアニンが

出てくるなんて知らなかったのてへぺろ


息子妊娠出産





産まれてくれる前から母乳で

しっかり育てたい

希望と幸せな未来に胸をワクワクさせていた


念願の母乳育児スタート


乳切れる、吸われると激痛


!!なんでこんなに辛いの?


今度は白斑できて

また痛い


母乳育児って拷問やん


そんなときに桶谷式母乳育児相談室にであった


貫禄のある先生


食事内容をつたえると


そんなんあかんばい

今から食事指導するから

しっっかりききんしゃーよ


砂糖、いりこ、油、練り物、乳製品、禁止

だしは、しいたけと昆布

甘味はみりんでね



甘くない、と私がいうと



オーガニックの野菜なら

特にさつまいもやカボチャ

自然な甘味があるからそこから甘味を

ひきだしんしゃい


確かにさつまいもを醤油で

煮込むとおいしい!


しかしながら、蒸したり工夫はするものの

食事が単調


食い意地せいこが暴れだすムキー


そんなときにマクロビカフェで食べた

食事のアレコレが美味しすぎて

ショーゲキを受けたびっくり



これは習うしかない

ここのカフェの料理教室の日を確認して

行ける日を指折り数えていたおねがい



そんなときに主人より


新潟に決まった


!?

えぇーーーー!!ガーンガーン

転勤族やからお引っ越しあるのは

覚悟してたけど  

ほんまに急やなガーンガーンガーン



新潟へお引っ越し


自然食品店に1枚のチラシが目に入る


マクロビ料理教室


迷いなく即刻申し込んだ


それが私のお師匠との出会いラブ


師匠の講座には

資格を取るものしかなく

当時の私は

家族とおいしく食べられる術を知りたい

第2子の妊活のこともあり

資格を取ることは断念していたショボーン







師匠のご飯が食べたくて

イベントがあれば足を運び

私を覚えてもらえるようにしていた



そんなとき

妊娠発覚


あぁー、赤ちゃんが来てくれた

ありがとうおねがい

喜びもつかの間

再診で育たない卵といわれ大ショックショボーン

自然流産か、掻爬か

私は自然流産を選択した

できる限り子宮の中を傷つけたくなかったから


モヤモヤムカムカ悪阻はあるのに

育たないなんて


奇跡は起こるかも

なんてことをずっと期待していた



数日腰が重いなぁと思っていた

ある日の明け方

流産は突然にやってきた

シーツ一面真っ赤

寝てたけど一瞬で目が冴えた


息子に何かあったのか!?鼻血か?下血か?

息子は息をしているか

あぁ、よかった、出血は息子ではない


…あれ?何の血?



…あぁ!!!?

あぁ、ついにきたのか。流産。

やっぱり、あかんかったな。せやんな。

そうやんな。あかんていわれてたもんな。


流れてきた子にごめんねと

胸がきゅーって痛くなって

涙がポロポロこぼれた悲しい


産婦人科へ受診


残っているので、掻爬します


処置後

止血剤入りの点滴、ベッドで一人横たわり

泣かないって決めてたけど

心細くなって両親に電話

両親の声を聞いて安堵して泣きじゃくった悲しい



親と離れているのは辛いな

身内がそばにいるって

困ったときに助けてっていえるから

いいなって思った悲しい






帰りは

確か自分で運転して

息子の幼稚園のお迎えもして

帰宅したなぁ


翌日腰が痛くて動けなくなった

初ぎっくり腰ガーン


添加物怖い病だったから

お店のお総菜はヤダ~ってなってて


誰か作って~って思ったときに

マクロビの師匠が頭に浮かび

無理を承知の上でお願いし快諾してもらい

作ってもらえたおねがい


あぁおいしい


翌日は生徒さんに作ってもらえた

初対面の私に


大変だったね、大丈夫?

何かあったら遠慮なく電話してきてね


どどどー、なんて優しい人なんだえーん

しょ初対面やのに、こんなに優しくしてもらえて

何かあったら電話していいってえーん


その人が作ってくれたピクルスを

食べながら思い返した


すてきな人やったなぁ

優しくしてもらえて嬉しかったなぁ

私一人ではなく

なんか支えてもらえてる感じがすごく嬉しいなぁ

私いつ動けるようになるかな

ちょっと痛いけど少しずつ動いてみるかな

あっ。動けそう。

あっ。動ける。

動けた!!


食べ物から作り手の思いが伝わり

それが勇気となってがんばる力になれることを

実感し胸が震えるほど感動した笑い泣き


この感動を私も与えられる人になりたい!!


この事がきっかけでマクロビの資格を取った気づき


資格勉強中に娘の妊娠がわかり

里帰り出産に間に合うように

講座を終了し、資格を無事に取得気づき


兵庫へ戻り里帰り出産


助産院で出産予定だったけども

切迫で提携の病院へ入院。

37週で退院。

安静のため足ガクガク

助産院では自分の力も必要

筋力トレーニング開始

床掃除など、スクワットをひたすらした

筋力はもどり

出産への気持ちを強く持てることができた


さぁいつでもいいよ

お腹の子に話しかける


日曜の3時に陣痛

5時には産まれ


主人には産まれました報告


新潟から飛行機で朝イチの便でご対面おねがい






産後3ヶ月経ったとき

主人から

転勤や


うそやーんガーン

まだ私兵庫にいますがえーん


そんなこんなで、即新潟にもどり荷造り

お世話になった人たちに報告&逢いまくった照れ







神奈川へお引っ越し


ほどなくしてコロナが始まる


横の関係は絶たれていくびっくり


食事をする場所もなんだかピリピリムード


子どもが大きな声を出すと冷たい視線を感じる


世の第1子のママたち大丈夫かな?


私の時ですら孤独感ハンパなかったのに

コロナでさらに関係作りにくいし、、


だったら、

ママと赤ちゃんの安全基地

作っちゃえってことでカフェを始めました






はじめの頃はなかなかお客様も少なかったけど






徐々に増え満席になり

ママの笑顔をたくさん

見ることができて幸せなな時間でした照れ








今ではカフェは一旦終了し

私が本当にやりたかった

私が受け取った感動を

次の人にお返しをしたく

出張料理をしていますおねがい