「働き方改革」「教員の担うべき仕事の見直しが急務」「待ったなしの状況」

 

そんなことを言いながら、文科省はシレッと現場に通達の雨を降らせている。

直近では

「タブレット端末の利用状況調査」

「LGBTの教育的中立性について」

「夏休みの課題における生成AIの利用について」

「夏休み明けの児童生徒の自殺防止に関する各機関の連携の在り方」

「不登校・いじめ対策の強化」

「各学校の不祥事防止取り組みについて」

ここ1週間ぐらいで届いた通達だ。他にもあったかもしれない。何しろ多すぎて覚えていられない。

このように、学校には次から次へと通達がやってきて、「あれもやれ。これもやれ。全部やれ」と何もかも強制される。

 

本当にバカバカしいのは、例えば「タブレット端末の利用状況調査」。

このペーパーレスの時代に紙媒体で各家庭に配って回収するのだ。A4の表裏ビッシリと書かれたその調査は、タブレットの破損や修理履歴や使用方法や使用時間帯に加えて自由記述欄と言うのまであり、これを集計して報告するのは担任である。

GIGA構想とやらでネットの環境がどうの破損がどうの利用率がどうのと言う以前の問題として、調査を紙媒体でおこなって手集計させるとは、いったいどういうつもりなのだろう。

文科省は「タブレットはもはや手放すことのできない必需品」と自画自賛しているが、確かにそうだな、と教師たちも思っている。なにしろタブレットを与えていれば、休み時間はおとなしくゲームをしていてくれる。熱中症が心配される今では外で遊べない時間帯も多いが、子どもたちはエアコンがガンガン効いている教室の中で、画面に向かって一生懸命なので、外に出られなくても不満はない。一人一人がタブレットに向かって何かをやっている。これならトラブルも起きにくい。子ども同士のトラブルで保護者に連絡をしなければならない面倒と気苦労を考えたら、タブレットの破損ぐらい何てことはない。どうせこれを配ったのは国だし、修理代を払うのは自治体なのだ。

 

生成AIの通達もやって来た。どうしろというのだろう。「丸投げはダメ」とか言っているが、上級役所は仕事を現場に丸投げしているではないか。都道府県市町村の通達なんか、文科省の文書のそのままのコピペだ。かがみ文が追加されるだけ資源の無駄になっている。

AIを利用したかどうかなんて分かるものか。どこかの大学教授も「見抜くのは無理」と言っていた。ムリだということは、ちょっと考えればわかることだ。どうやって生成AIが作ったと判断し証明するのだろう。そんな通達を送り付けてくるということは、「働き方改革」などこれっぽっちも考えていないという事だ。またしてもの丸投げ文書、しかしこれが日常なのでたいして腹も立たない。どんな偉い人が立派なことを言おうが、末端は「ああ、そう」といって終わり。プリントアウトされたそれは、すぐに資源ごみBOXの中に行く。

 

時代の流れに無駄な抵抗をするのではなく、「生成AI利用大いに結構、素晴らしいアイディアには文科大臣賞授与」とかそんな宿題にしてしまえば良い。すると全国から「こんな事にも使えたのか」と驚くべき創造性あふれる使い方がわんさか集まることだろう。

そうした方向に踏み切れずとりあえず禁止するのは、生成AIは教える側や審査側などの権威側にとって不都合なのだ。新しい価値観やアイディアについていけそうもない、評価できそうもない、下手をすると「上級の人々」の存在価値が無くなってしまう。

そんな危惧は下っ端の教師にはどうでもいいことなので、「宿題なんか出すのやめたら?」と提案してみるのだが、宿題は何が何でも出したいらしい。夏休みには宿題を出さなければならないもの、という固定観念があるようなのだ。

 

こんな昭和な連中が教育界を取り仕切っている。

そして「働き方改革」とか言いながら、実は現場を忙しくする通達をせっせと出している。

教室にも生成AIを導入し、「先生の代わりにしゃべって」というと授業をやってくれるようにすればいい。どうせ授業の準備時間は、裁判所の判決によればわずか5分、きっとAIのほうが良い授業をやってくれる。