政府は夏休みの宿題のChatGPTの利用について、7月初旬にガイドラインを公表するようである。

 

はっきり言って無駄だし、現場の負担を増やすだけだ。

 

繁忙期の7月上旬、成績をつけたり個人面談の資料を用意したりと現場はただでさえ忙しい。

4年ぶりのプール再開も負担が大きい。

これに加えてAI対策もしろ、と言うのだからひどい話だ。

 

例えば読書感想文。

ありうる話として、ChatGPTに「○○の感想文を1200文字ちょうどで作ってください」と頼めば、多分作ってくれるだろう。それを作文用紙に書き写せば一丁あがり。

さて、問題はこの後、夏休み明けだ。提出された感想文を読んで教師は悩む。「この子の実力からするとちょっとあり得ない感想文だな」と思ったとして、「きみ、AI使った?」とうっかり聞くと、それが問題発言になったりする。親が親だと「うちの子を信用していない」「疑うとは教師としてあるまじき態度」「子どもの心を傷つけた」と激高し、激しいクレームをつけることが十分に考えられる。

また、AさんもB君もCさんも素晴らしい感想文だったらどうするのだろう。自治体によっては感想文コンクールがあり、金賞銀賞を決めていくのだが、どれを選んだらいいのか、この感想文はAIを利用しているのかどうかを判断するのが、相当難しくなることは容易に予想できる。

だから読書感想文の宿題など止めてしまえば良いのだが、あれはあれで印刷業者や作家の収入源と深く結びついていて、簡単にやめることができない。

 

理科の論文系も相当怪しくなる。

ずいぶん前から、小中学校の科学展ではワープロソフトによる論文提出が認められるようになり、それがコピペなのか親による論文なのか本人がそのまま作ったのか分からない、カオスの世界になっていた。今度はそれにAIが加わるようになったわけで、恐らく判別は出来ない。特に小学校では、理科知識は教師よりもはるかに上という親も結構居るから、「この論文はAIが作った」などとは絶対に言えないだろう。言って問題になって全国ニュースとなって人生が終わるよりは、「素晴らしい出来栄えだね」と適当に褒めておく方がはるかにいい。教師生命を賭けてまで子どもの宿題にケチをつけようなどと言う教師は、多分ほぼ居ない。もう応募者全員が金賞とか、そういう対処をしたほうがいい。

 

これはつまり、生成AIを利用したところで、その疑いが濃厚であっても、学校は手も足も出ない、と言う事である。したがって、保護者は児童生徒とよく相談し、生成AIをガンガン使えば良いのではなかろうか。いくら政府の偉い人がガイドラインを作ろうが教育現場での利用を禁止しようが、そういう便利なものが出来たのなら利用したもの勝ちだ。上手く利用し、使いこなすことを考えたほうがいい。これからはそういう時代になるはずだ。

新しいことを素早く取り入れ、うまく使う。それが出来るのも能力のうちだろう。