アウシュヴィッツ・ビルケナウ -ナチス・ドイツの強制絶滅収容所-(3) | ぽんこからのエアメール

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愛媛から出てきてはや○年!
京阪神を中心に、日々の出来事をつづっていたら2011年春に
〝花のお江戸〟にお引越し。
しかーし!2012年3月にふたたび阪神間に舞い戻ってまいりました。
Ponkoの目を通した日常を、どうぞお楽しみくださいませ☆

このバス(無料)で、第2収容所であるビルケナウに移動。

だいたい3分くらいかな。ビルケナウの入り口に到着する。


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この門をごらんになったことがあるだろう。アウシュヴィッツを象徴的する

メインゲート「死の門」。


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このビルケナウは、アウシュヴィッツ建設後にさらに囚人を収容できるようにと

当時の主にソ連兵捕虜をつかって1941年に造らせた広大な収容所。

『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクが、アムステルダムの隠れ家で逮捕された後

連れてこられたのが、ここビルケナウだ。アンネの母親は、ここで亡くなっている。


途中、ドイツから来た学生の集団とすれ違った。

ヨーロッパの中でも、ドイツからの見学者は非常に多いそうだ。


中谷さんは言った。

「まだ年若い彼らに、70年も前のことに対する責任はありません。

しかし、彼らにはドイツ人として二度とこのような悲劇を起こさないようにする責任があります」


それは平和ボケしたPonkoをハッとさせるに十分だった。

言葉の意味もそうだが中谷さんの声の調子と、「責任がある」とハッキリ言い切られたことに。

なるべく婉曲な言い回しを得意とする、典型的日本人なPonkoには印象的だ。


またこのミュージアウムは、ひたすら「事実を語る」ことに徹している。

けっしてユダヤ人寄りにも、ドイツ寄りにも、

他のどこにも寄らずただただ中立を保つ努力を、つねに行っていることを、痛いほどに感じた。

ひたすら「事実」や、いろいろな立場、見方を紹介し、自分で考えてもらう。

それを、将来起こるだろう様々な出来事に対する個々人の判断材料にしてもらう。


少なくともホロコーストについて、ヨーロッパはそのような教育を行っているようだ。

そして戦後、ドイツはこの責任を負い周辺諸国に真摯に対応してきた、

今のドイツのヨーロッパでの地位は、その証明のひとつという解釈が出来る。


第1収容所とちがって、第2収容所ビルケナウはほんとうに広大。

当時、300棟もの収容棟があったそうだ。

はたして、見張り台も役に立つのだろうか。


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戦後、荒廃した土地に家を建て直すべく

材料としてバラックを壊し、持ち去ったのだという。

あとには各バラックにあった煙突だけが残る。


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冬はマイナス20度まで下がるここで暖をとるには煙突のそばにいることが大切。

各バラック内での力関係が、そのまま生死を分ける。

普段は狭い3段ベッドに、人間がギュウギュウに詰め込まれ寝かされた。


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ビルケナウの「死の門」をくぐった貨車は、降車場(ランベ)に到着する。


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一両だけ残されている。結構高いので、降りるときに苦労しそうだが

グズグズしてると、ドーベルマンに噛まれたり棍棒で叩かれたりしたそうだ。

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ドイツ人医師の「選別」が行われ。

当時の写真の右奥に並ぶ列は、そのままガス室に送られる列だ。

現在の写真の右奥に進むと、当時のガス室群がある。

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途中、防火用水のプールが。施設の体裁は整っているのに。


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第2クレマトリウム(ガス室と焼却炉が一緒になった複合施設)跡。

侵攻してくるソ連から逃げる際に、ドイツはここを爆破し、

証拠が残らないようにした。


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このそばに、遺体を野焼きした場所や、

奥には「死の池」と呼ばれる砕いた人骨を投げ入れた池がある。


このあたりは元々湿地帯だったためか、地面がジュクジュクしたところがあり

まるでそこから、今にも遺体が湧き上がってくるような気がした。


写真撮影可というが、ちょうど日が陰って辺りが薄暗くなったこともあり

さすがにカメラを向けることがとんでもない冒涜のような気がして無理だった。



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どうかどうか、やすらかに眠って欲しいと心から願う。


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ヨーロッパ20カ国から続いた線路の終着点。


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回れ右したそこには、その20カ国の碑がある。


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私達のグループに最初から参加していた、シマシマ模様のTシャツを着た

ポーランド人のタクシードライバー。

今回参加した日本人をタクシーで案内しているという彼は、初めてのアウシュヴィッツ。

彼の祖父は、労働のためドイツに連れて行かれた経験を持つ人なのだそうだ。


ドイツが侵攻した1939年から1945年のあいだに、ポーランド人の約300万人が殺されたといわれる。

また推定250万人のポーランド人がドイツ領内につれていかれ強制労働に従事させられたというので

彼の祖父もそのひとりだったのだろう。

ポーランドという国は、第2次大戦で膨大な死者をだした。

ポーランド人はもとより、ヨーロッパでもっとも多くのユダヤ人も抱えていたのだ。

そこから立ち上がってきた彼らの長い道のりを思うと、本当に・・・。


あらためて、ビルケナウの外側から中へ通じる引込み線

…から、メインゲート(死の門)を見上げる。

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いったい、この上をどれほどの数の貨車が通っていったのだろう?

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クラクフへの帰りは大型のバスで。

途中、オシフィエンチムの駅前を通る。

第2収容所のビルケナウが出来るまでは、アウシュヴィッツに送られてくる囚人らは

この駅で降ろされ、20分ほどを歩いて収容所へ連れて行かれたのだそうな。

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そういう意味で、列車でここを訪れる意味はある。



Ponkoはかなり厳しい内容も書きましたけど、

ガイドの中谷さんはひたすら事実に徹する説明をされ

考えるきっかけを与えてくれ、私たちにたくさんの「宿題」を託してくれました。


本だけだと「ユダヤ人ってかわいそう」だけで終わりそうなところだけど

それだけで終わらせない「考え方」を教えられたというか。


ちょっとしり込み気味だった旅友Yが言いました。来てよかったと。


そういう場所です。百聞は一見にしかず。

ここは日本人にもぜひ、訪れていただきたい場所です。

できれば、中谷さんから日本語で、説明を聞きながら巡っていただきたいと思います。