ローマってこんなきれいな街だったかしらん
ナポリの道はハッキリいって汚かった。
犬か猫の糞はそこかしこにあるし、
タバコの吸殻はモチロン、歩きながらタバコを開けたそのゴミも平気でポイと落としてゆく、
ガラスの細かい破片がちょこちょこ落ちてる、
洗濯物が落ちてそのままになってる、
その他わけのわからんゴミやホコリも溜まってるけど、
それを箒でザッザと掃くもんだからチリが舞い上がる・・・ってな具合。
連れなどは、“なぜナポリが世界遺産に指定されたのか分からない”ともらしたくらい。
ベビーカーに乗った赤ちゃんは、あれ吸ってんだぁ・・・と思うと
日本って外の道も本当にきれいだと思うし、
逆に、なぜあんなにきれいに保てるのか不思議、というか驚異に思える。
(でもね、ホテルやアルベルゴ等、建物の中はキレイにしてるのヨ!?)
いやぁ~ローマは昔もここまでじゃなかったが、それでも糞は落ちてた(笑)
それがすっかりなくなっている
少なくともPonkoが歩いた街中は、糞はもちろんガラス破片等、目立つゴミがない
へえー街をキレイにすることに「目覚めた」んかしら
「パンテオン」
ローマ人はギリシャ、エジプト、ペルシア・・神さま大好きな人たちだ。
特にギリシャの神さまは、すっかり自分達の信仰に取り込んでいたのだが
その神々を祭ったのが、この「パンテオン」だ。
中は一部屋だけ。何の仕切りもない。
クーポラのてっぺんから差し込む光が、堂内を照らす。
現在の「パンテオン」は2代目。西暦118~128年に造られた。
床からこの天井までの高さは、約43m。
「アーチ」は古代から、既に各地に存在した形だが、
その構造を理解し、応用させて建築に用い、ついにドームにするまでに
発展させたのは、ローマ人だといわれている。
ちなみにこの頃の日本は、まだ弥生時代である。
映画『ローマの休日』では、ここパンテオン横のカフェが出ていたが、
現在は・・・特に何もなし(笑)
でもパンテオン前は広場があり、このパンテオンを眺めながらゆっくりできる
さて、そんなゆっくりしてる人々を尻目に(笑)、向うはナヴォナ広場だ。
彫刻の美しい大きな泉が縦に3つ並んでいる、長細い広場だ。
それもそのはず、古代ローマ時代、ここは「ドミティアヌスの競技場」だった場所。
今ではローマっ子の憩いの場だ。
広場を出て、連れは買い物に向かい、Ponkoはヴァチカンを目指す
とりあえず北に向かい、テヴェレ川に出る。
あ。ヴァチカンのクーポラだ
途中、「サンタンジェロ城」の前を通ったので、写真を撮っておく。
あ、近すぎ?
ちょっと後ろへ。これがよく写真で見る姿ね。
実はコレ、もともと歴代皇帝の霊廟だったんだそーだ
プッチーニのオペラ『トスカ』の舞台になったことでも有名。
上にあるブロンズの天使は、ベルニーニ作。
ローマは、このベルニーニ作品の天国だ。よくこの名前を見るよぉ~
ここからでもヴァチカンは見えてたが、案外遠く、徒歩15分くらい。
サンタンジェロ城と、ヴァチカンをつなぐ橋。
一般人は通れない。
ふぅやれやれ ようやく到着お久し振りです
相変わらずスイスの衛兵が、ヴァチカンを守ってる。
スイス傭兵隊として、15世紀頃からヨーロッパ各国に派兵されてた彼らだが
1505年にヴァチカンに採用?されて以来ずっとだそう。
現在100名ほどの、スイス人で一定期間軍隊経験のある人が警護にあたってる。
この日曜日は、サン・ピエトロ大聖堂地下のカタコンベに入ることが出来る。
空港のセキュリティー並みの検査と、手足がむき出しにならないよう
上着(ショールやスカーフをはおるのも可)を着て進んでゆく。
(写真は無いが)いちばんみんなが立ち止まりお祈りしたりしてたのは
最近2005年に亡くなったヨハネ・パウロⅡ世のお墓の前だった。
あらためてサン・ピエトロ大聖堂に入りましょ。この天蓋、やはりベルニーニ作。
クーポラに登るとき、このクーポラの内側を通る。上から見る大聖堂内もまたよし。
そして隣は、ラファエロの「キリストの変容」。37歳で亡くなったラファエロ最後の作品だ。
このサン・ピエトロ大聖堂は、キリストのいちばん弟子とも言われた
「ペテロ」のお墓の上に建てられたといわれる。
このペテロ、今回アマルフィで出会った魚を持つアンドレアのお兄さん
ペテロはキリストに“あなたは救世主、生ける神の子だ”と言い
その時シモンからペテロ(岩の意)に改名、同時にキリストから「天国の鍵」を授かる。
だから、ペテロが誰かを見分けるときは「鍵」を持ってるかを確認すればいい。
実はこのヴァチカンのある地、古代ローマでは「カリギュラの競技場」だった。
ペテロはこの競技場で、皇帝ネロの命により磔にされた。
ヴァチカンを出たPonkoは、地下鉄オッタヴィアーノ駅へ。
そこから一気にテルミニまで戻り、みやげ物を買い込み、ホテルロビーで連れと会う。
20:45発の飛行機に乗るべく、泣く泣く?ローマ、そしてイタリアを後にしたのでした。
おしまい。
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