19日の日曜、愛媛は新居浜にある「別子銅山 」にいってきた。
10月の演奏会で取り上げる『銅山』という合唱組曲。
別子銅山をテーマにした曲
別子銅山は昭和48年に閉山したのだが、その跡地を
観光客に紹介できる、ちょっとした観光施設にしている。
8月頃から“いきたいなー”と言っていたPonko。
ノイエ の皆さんにツアー募集メールを流し、いくメンバーを確保!
当日は朝7時に三宮に集合し、9人で2台の車に分乗して
一路、別子銅山へ
別子銅山は新居浜ICから山の方へ、わりとすぐの所にある。
別子銅山は、1690年に標高1、000m以上山の上で銅が発見されたのが始まりで、
ついに海抜下1,000mまで掘り進んでゆくが、地熱の上昇や地下水の増加などで
閉山となった1973年まで約280年間の間に総量70万トンの銅を産出した。
掘り出された銅は、日本国内はもちろん、昔は長崎を経由して
ヨーロッパなど諸外国にまで輸出されていったのだそうだ。
この銅山経営をしたのが、「住友」だ。
ここから様々な住友グループ企業が生まれた。
〝観光施設〟は、「マイントピア別子 」として、お土産物屋などがあるエリアと、
鉱山鉄道に(3分くらい)乗って、銅山の歴史や体験のできるエリアがある。
別子銅山を歌うPonkoらにとって、やはりメインは歴史や体験のできるエリアだ
さっそく、「日本最初の鉱山鉄道」に乗り込むご一行。
小さいですね、こんな感じ。遊園地のアトラクションみたい。
でも途中抜けるトンネルは、鉱山鉄道開通時からの古いものだし
この鉄橋も明治26年にかけられたドイツ製の、数少ない「ピントラス橋」だそう。
近代に入ると、このような機械を使って掘っていた。
コレに人が乗り込んでいたそう。小さい!狭い!!
危険な仕事であることから、白の作業着は
目立つ色=白であると同時に、「死装束」の意味も。
足元にある「わらじ」は、よく見ると足の半分のサイズしかない。
その方が、踏ん張りが利くのだそうだ・・・多分。
(ガイドのおじいちゃんに質問したのだが、よくわからなかった)
「負夫(おいふ)」と「堀子(ほりこ)」。
銅山内に入るときは、必ずこの2人1組で。
危険なシゴトなため、開山された時にお越しいただいた?大山衹(おおやまずみ)神社。
これは「しまなみ街道」の途中、愛媛県の大三島にある神社だ。
昔から山の神、海の神、戦いの神として、信仰を集めている神社である。
銅山で働く男達は、かならず無事を祈願して坑道に入ったのだという。
コンコンと湧き出てくる地下水は、2時間交代24時間体制!でくみ出されていた。
女性は「砕女(かなめ)」と呼ばれる、運び出された鉱石を砕き選別する仕事か、
「仲持ち(なかもち)」という、運び屋の仕事をする。
粗銅(あらどう)や半製品の銅のかたまりを背負って下山し、
銅山へ帰るときは米や味噌などの生活用品を担ぎ上げる。女性は30kgの重さを
(体験コーナーで、30kgの重さを担いでみようとしたが、腰を上げることができなかった!)
別子だけでなく、大阪へも運び製錬されたという。
産出された「粗銅(あらどう)」は、生産量の約13%が「銅山税」として納められていた。
1691年に、初めて別子に開かれた坑道。
みんな将来有望な銅山の坑道入口で歓喜の喜びにわいた
だから「歓喜坑(かんきこう)」と名づけられた。山の頂上付近にある。(登山ルックじゃないとムリ)
「切上り長兵衛(きりあがりちょうべえ)」さん。
別子銅山の歴史は、彼が「露頭」を発見したことから始まったといわれる。やるな。
ちょっとわかりづらいかな
岩肌を触ると、手にキラキラしたものが付いてくる。
さて、いったん「マイントピア別子」をでて、車で「東平(とうなる)」へ向う。
途中から車の離合の難しい細道に入ってゆくため、少し待たされた。
「東平(とうなる)」は、大正時代に入り採坑本部になったところ。
かなり山の中だが、最盛期は約3,700人が生活しており、当時学校はもちろん
娯楽場まであったという、まさに活気に溢れた「町」だった。
今は閉鎖されてる「第3通道」
「索道基地・貯鉱庫跡」。
むこうの方に、新居浜の街がみえる。
「東洋のマチュピチュ」と言われる「景色」はこれだと思われ。
「東平(とうなる)」で飯を炊く」ならぬ、「飯を食う」か
帰り道は、東かがわ市辺りで派手に上がる花火を見ることができました
さいごまで、良い小旅行でした。
<おまけ その1>
実は別子銅山へゆく途中、高松で降りて「るみばあちゃん」で有名なここに寄り・・・
うどんを食す
もちろんるみばあちゃんとの写真も
朝からお客さまをお迎えして元気にご挨拶して回っています。
こういうおばあちゃんになりたいものです
ちなみに写真は、店から出てきた午前10時半頃。
駐車場の方に伸びる長い列の皆さんがさしてる日傘は、お店が貸し出してるもの。
※開店は午前10時ですが、日曜日のこの日は、朝9時から開けたそう。
<おまけ その2>
Ponkoが乗らなかった、もう1台の車中。
ほとんどずっと『銅山』を歌っていたようだ、しかもベースを。
しかもベースに飽きた彼らは、今度テナーまで歌い始めたようだ。
東平で歌われたら他人のフリをしようと決めていたが(笑) 何とか一般人に溶け込めた
<おまけ その3>
だからといって、『銅山』が飛躍的に上手くなったよな?!と期待されると困る
一同である。