エンジェライトさんの
人工死産経験者対象のお話し会に参加させていただきました。

喪失体験から1年ぐらい経った頃、
ブログで知り合った人工死産経験者の方が主催していたお話し会に参加させていただいたことがありました。

その会は特に対象者が限定されておらず、
上にお子さんがいらっしゃる方や新生児死の方、子宮内胎児死亡の方など様々でした。

気持ちを出せる場があったのはとてもありがたく、気持ちは軽くなりましたが、人工死産の私は、この人たちの前で自分が辛いという話をするのは失礼なのではないかという思いもありました。

主催者が人工死産の経験者ということが救いでした。

今回は人工死産の経験者が対象、ということで、共有しやすい面があるかも、と思い、色々な思いを持ちながら参加させていただきました。

私だけZoom、私以外は全員スタッフという贅沢な環境、でも少し緊張や最初は居心地の悪さも感じましたが、その中の1人が人工死産のご経験者で、今日朝起きてからここへ来るまでのことをお話ししてください、と言われたかのような、
音声が聞こえなかったら壮絶な喪失体験を話しているとは思えないような表情で淡々とお話されていました。

笑顔でお話できるまでにどれだけの涙を流したのだろう、
どんな思いをしてきたのだろう。
笑って話せるようになったからって悲しみが消えたわけではないし、全て解決したわけでもないだろう。

私は6年経ったけど、6年という月日は長いのか、短いのか、
もう6年、なのか、まだ6年、なのか。

普段泣くことはなくなっても、
いざ自分の言葉で当時のことを話すとなると、やっぱり胸がいっぱいになったり、声が震えたり、詰まったり。
お話し会に参加する方は、こういう思いで参加するんだと改めて思い出すことができました。

そんな自分も、もう大丈夫だと思ったのに、とか、6年も経ったのにこんな状態じゃダメだ、と責めるのではなく、
そうかそうか、と優しく受け止められる、そう変わってきたのを感じることができました。

悲しみや苦しみの長さや深さは人と比べるものではないけれど、6年経っても涙が出る、と、喪失体験から日の浅い方が見て、
あ、まだいいんだって思えるなら、私の涙にも意味があるだろう。

その後読んだ文に、
自分の体験を話すことの精神的負担を知らずに、相手に話をさせるのは違う、というようなことが書いてあり、
確かに、
私も同じ体験をしていますよ、気持ちわかるから話してください、といきなり言われて、ハイ、って話せるものではないなって

これからサポーターとして活動していきたい自分の課題や目標がまた1つ見えた、そんな日でした。

そしてやっぱり人工死産の経験者はたくさんいるはずなのに、見つけたりつながることはなかなかできなくて、
タブー視されていたり、人知れず涙を流している方もいらっしゃると思うので、
そういう方に見つけてもらえる方法も探していかなくちゃ、と思いました。

デリケートな問題だし、不幸自慢と言われたり、余計に傷つくリスクがあっても、
見つけてもらえるためには、少しずつ発信していこう、そう思っています。

参加させていただけてよかったです。
ありがとうございました。