こんにちはにっこり

 

一気に暑くなりましたねー!

体調崩されてませんか?🥹

 

 

寒暖差激しく自律神経もおかしくなりそうな気候ですのでご自愛くださいね。

 

私はまっきーのライブのあった次の日からずーっと謎の鼻炎で?耳が遠くなっております魂が抜ける

ずーっと耳に膜が貼ってるみたいな状態でして…

人の声が遠くに聞こえるんです…

 

うん🙂‍↕️

 

まっきーの日は耳が聞こえてよかった!!笑

 

と心から思いました😂

それだけはラッキーでしたー✌️

 

(ライブで風邪をもらってきたんじゃ…とは口が裂けてもいいたくないw)

 

 

 

さて、

今月は断捨離をしていたのですが、積読をなんとかしようと10年くらい前の辻村深月さんの作品を2冊読みました。(実は未読作品が何冊もあるのです…昇天)

 

今回は

 

『鍵のない夢をみる』

『盲目的な恋と友情』

 

を読みました📚

 

読まなきゃー…と思いながらも、この二作品はどうやら人間のドロドロを描いているそうだ…というので、なかなか手が伸びず、文庫本を買ったままこの数年放置していたのですが(数年も凝視)、なんか無性に読んでみたくなったので読みました。

 

そしたら案の定、

 

めっちゃドロドロしてるじゃん!!!驚き驚き驚きガーン

 

という内容で、『かがみの孤城』とか『ツナグ』を期待して読むとガーン😨とヤられるくらい人間のもつ本当は見たくないずるさや弱さや嫉妬心や執着心…ダークな部分を赤裸々に書いてある衝撃的な内容でした驚き

 

だけど、

あーこれって私も持ってる感情だなぁ…考えだなぁ…と共感できすぎてしまう自分がいて、あぁやっぱり辻村さんってどうしてこんなに人間のどうしようもない部分を書くのが上手なんだろ…と感心してしまいました。

そして改めて惚れ直しましたラブ

 

内容は省きますが、

どちらの作品にも共通した部分が『人それぞれの立場の違いによって映る景色の違い』でした。

 

自己肯定感の低い人物から見た景色は相手との関係性がとても細かく濃く描かれているのに対して、

自己肯定感の高かったりその後の人生を前向きに生きたであろう人物から見た景色では

その相手との関係性はとっても淡泊で、まるで同じ過去の二人の物語ではないかのように感じてしまうほど着目点がズレて描かれていた…のが印象的でした。

 

前者の中では今でも過去が現実と続いてて、いまだにその過去に苦しまされてたり、その相手との関係性は濃密で親しかったと位置づけられていても、

後者の中ではもう終わった出来事として位置づけられていて、本人の中では些細な出来事だったり記憶にすら残らない出来事だったりで、その上相手との関係性も特に特別親しい相手…というものでもなかったりして。

 

そのことを思い知らされた前者の絶望と怒りは読んでてぞっとするほどでしたし、

とてもいたたまれない気持ちにもなりました。

 

だけど、私にも確かにこういう感情はあったなぁ…と過去を振り返って思いました。

 

自分の中で勝手に親密感を感じていた相手に、思った反応を返されなかった時の自分の怒りや絶望感。

本当の自分に自信がないから上辺だけ取り繕うとする浅はかさだったり、

献身的にお世話を焼くことでその人からの特別な関心を得ようとしてしまう弱さと愚かさ。

 

そういう過去の私の至らない部分がここぞとばかりに描かれていて震えました。

 

今の自分なら、なぜそうしてしまったのか、そう感じてしまったのか、何を求めていたから絶望し、怒りに変化したのか分かりますが、わからなかった当時は本当に苦しかった…当時をまざまざと思い出し少し苦しかったです。

 

とても苦しかったけど、今はわかるので、わかる自分になれてよかったなぁ…とも思いましたにっこり

 

 

 

↓ここから私の過去整理の話になるのでご注意ください。長いです。

 

 

そんな読書をした数日後、断捨離でどうしても今まで手放せなかった…どころか、見ない振りしていた小中学時代のサイン帳(サイン帳とは卒業時にクラスの親しい子たちに書いてもらったノートのようなもの)を読み返してみました。

 

これも、今までは、過去の自分が嫌すぎて、その過去の自分に向けて書かれたメッセージをみることが怖くて見れなかったのです。

 

(だったら捨てればいいじゃん??と思われるでしょうが、過去が嫌いなくせに過去への謎の執着もあって捨てられなかったという…ネガティブ

 

(てか、四十過ぎの女がいまだに小中学生時代のサイン帳を所持しているという現実に絶句されるかもしれませんね魂が抜ける

 

まぁ、でもそのくらい私は今まで過去に囚われ続けて生きて来た人間なのです。

 

 

そして思い切って読んでみました。

 

そしたら、自分でも忘れてたあだ名で、優しいクラスメートの子がとても丁寧にたくさんのメッセージを書いてくれてて感動したり、親しいと思ってたあの子からのメッセージが結構ザツであれ??て思ったり、記憶に忘れてた子から私との面白かった思い出についての感謝のメッセージが書いてあったり、あぁ…あの子ちょっと意地悪だったな…て子からは案の定なんでここで書く必要ある??みたいなメッセージがかいてあったりで、結構おもしろかったんです(笑)

 

ふふふ…と笑いながら読んでる自分に気付いて驚きました。

 

もっと気持ちがざわつくと思っていたので拍子抜けでした。

 

なんだ、過去の私って思ったより嫌われてなかったなー。こわくなかったなー。

勝手に嫌われてた気でいたけど、好意的にみてくれてる子もちゃんといたんだなー。

 

まぁ、でも確かに『変わってた』とか『孤高の』とか『何考えてるか謎』『時に冷酷』みたいなコメントがあるから変わってた(そして人の気持ちに無頓着だった)のは確かなんだろうなー(笑)

 

まぁでも、そんな私でもこんな風に受け入れてくれた人がいたんだなー。

 

特別に親しい友だちは確かにいなかったかもしれないけど、

こんな風にあだ名で呼んで思い出を書いてくれるクラスメイトがいたんだな…てことだけで、今の私は十分嬉しかったんです。

 

ちょっと風変わりだった私を、いじめるでもなくただ見守って適度な距離感で付き合ってくれたクラスメイトたちに感謝の気持ちが溢れました。

 

過去の私が求めていた友人というのは、なんでも私のいう事を聞いて優しく受け止めてくれて、

なんでも一緒に考えたり悩んだりしてくれて、私のために一生懸命してくれて、

私のことを特別に大切にしてくれる親友がほしかった…のです。

 

そんなのもうただの妄想の世界のお母さんしかいませんよね(笑)

 

そうです、

私は現実の世界の母からは得られない母親を求めていて、

それを親友という名の、妄想の世界の人間に求めていました。

 

存在するはずもない幻想を求めてほしいほしいと考えていたから

いつまで経っても現実の友人たちをそのままの姿で認められなかったし、

いつもどこか彼女たちに対して不満をもってて、勝手に心の距離をとっていました。

だから彼女たちもどこかよそよそしかったのも当たり前だったのに。

それを寂しいと勝手に思ってますます頑なになっていました。

 

今思うとなんて失礼すぎる!人間だったんだろう…と反省するしかないのですが。

 

それでも、

当時の私のできる限りで精いっぱい生きてきたのも、私は知っています。

 

だから、

過去の私は不器用で人の感情がいまいちわからなくて、

何が正解なのか?がわからなくて。

毎日が不安で、人間が怖くて学校行きたくなかったけど、

がんばって通学してえらかったなー!

 

なんとか普通の人間ぽくしなきゃって踏ん張ってたのも私は知ってるんだー。

よくがんばってたよね。

みんなにはごめんかもしれないけど、私は私を認めてあげたい。

 

そう思いました。

 

 

 

それから写真の整理をしました。

 

親からもらった子ども時代の写真から友人や夫が撮ってくれた、学生時代から社会人になって結婚するまでの自分の写真がたくさんあったのですが、

それもあまり見たくなくてまとめて紙袋に入れてしまっていたのです。

 

それを全部出してみたんです。

 

そうそう、去年卒業アルバムはみたのですが、

その時の自分の感想は『目が殺し屋のようで表情が死んでる…』でした(笑)

 

実際卒アルの写真はひどいんですよ…私は写真が苦手で嫌いで、カメラに向かっての笑顔がいまだにできない人間なのですが、小中高時代はとくに酷くて(笑)

 

だから殺し屋みたいな目で映ってる写真ばかりで全然かわいくないんですよ爆笑

 

だから、友人や家族が撮ってくれた写真もどうぜ殺し屋みたいなんだろうなー…と思いながら見てみたら

 

あら???

 

思ったよりかわいい…かもしれない??

 

…なんて思えるくらいには(笑)そこには年相応に子どもっぽい顔でやわらかく笑ってる自分がいました。

 

社会人になってからの私も、ずいぶん楽しそうに笑っていました。

 

私は自分の顔が嫌いでコンプレックスでしたが、記憶の中の自分の顔よりだいぶすっきりとした、人間らしい表情をして映っていて驚きました。

 

幼少期から二十代後半までの写真だったので、今より二十年以上前の写真たちです。

 

なのでなのか知りませんが、

 

写真の中の昔の私を見て、まるで自分ではないような、現実にはいないけど、自分の娘や孫をみるような気持ちになりました。

 

へんな表現なのですが、今私とは切り離された遠い世界の人物、そんな感覚になりました。

 

確実に私なのに、もう写真の私は私じゃなくて、娘や孫みたいな愛しい存在…そんな感情がわきました。

 

自分に対してそんな感情や感覚っておかしいのかも知れませんが(笑)

 

笑って映ってる昔の自分をみて、「よくがんばってきたね」という言葉をかけたくなりました。

 

うまく表現できないのですが、ぎゅっとだきしめてあげたい…そんな気持ちになりました。

 

今の私と、過去の私はもう別の人間なんだ。

 

そう感じることができました。

 

ようやく現在を生きてる自分、になることができたと思いました。

 

今は自分の顔も『愛嬌があっていいじゃん』と思えるくらいには好きになれましたし、

過去の私の顔も『幼くてかわいいかわいい』と思えるようになりました。

 

自画自賛すぎてイタイ奴みたいですが、自分が自分をすきって結構いいなーという感想です(笑)

 

自分の中の感覚が変わると、記憶も感情も変わってくるのが不思議ですね。

全部…とまではいきませんが、大部分の記憶と感情が良い方へ変わったと感じます。

 

去年学んだ心理学のインナーチャイルドセラピーで

『子供の頃の写真を見ながらやるのもいいですよ』と言われた意味がわかりました。

 

実際に子どもの自分を見ると感情が動くので、より具体的に声をかけることができますね。

もっと早く勇気を出して写真を見てみればよかったです。

もっと早くちいさな自分をこんな風にたくさん愛してあげればよかったです。

 

 

長い独り言にお付きあいいただきありがとうございました。

 

 

 

最後に過去の私が大好きだった、声優 林原めぐみさんの『がんばって!』で終わりたいと思いますニコニコ

 

毎日学校に行きたくなくて苦しかった時、

まっきーと林原めぐみさんの音楽に助けてもらいました。

 

当時よく聴いてたのが『がんばって!』です。

 

今聴いてもとっても素敵な歌なのでぜひ聴いてみてくださいルンルン

 

(万能文化猫娘をご存じの方はいらっしゃいませんかー笑)

 

 

 

 

 

 

それでは今日はここまでです。

 

今日もみなさんの素敵な願いが叶いますようにハート