娘犬が旅立って1週間が経ちました。

 

あっという間でした。

 

火葬までの3日間、ずーっと一緒で、まるで眠っているかのような安らか表情の彼女の顔を見つめながら、ずーーーっとなで続けてました。

 

この3日があったおかげで、気持ちの整理とお別れが、ちゃんとできました。

 

意識があった頃から、彼女は大人しく撫でられ続けてくれた子だったので、時折、「あれ?まだ眠っているだけなんじゃ…?」と錯覚してしまいそうになる瞬間が何度もあり、そしてなぜか、彼女の寝息が2日目の夕方まで聞こえ続けていました。(ただの錯覚なんですが)

 

2日目の夜から3日目の火葬の日には、彼女の寝息は聞こえなくなり、身体も冷たく固く(でも彼女は脂肪がそれなりにあって足の筋肉が無くなっていたため、手足や皮膚やお腹はいつまでも柔らかいままで、生前と同じように感じました)なっていて、死臭がほのかに匂い始めていたので、「あぁ、本当にあなたは違う世界に逝ってしまったのだね…」と実感させられ、盛大に送り出してあげよう!と思う事ができました。

 

火葬は横浜ではなく、彼女と夫と息子犬のゆんぼ(ゆんぼは1年間でしたが)と五年間暮らした柏で行うことにし、

早朝4時起きで、彼女の大好きだった甘い卵焼きと蒸かしたさつまいもとむね肉を作り、いちごとみかんと牛乳とあんぱんと牛乳パンと歯磨きガムとドッグフードと、たくさんのお花とお水と、よく似合っていたお洋服、よく使っていたバスタオルを持って出発しました。

 

6時に出発し、8時頃、彼女と1番最初に出逢った野田のペットショップに到着し、野田で住んでいたアパートとたくさん散歩したみずき公園や運河の道を車で通り、増尾の公園を回ってから柏でお世話になった動物病院と自宅をまわりました。

 

柏の家の周辺に着いた頃、車の中の温度が一気に上昇し、ぽかぽかとした空気がいつも彼女が立っていた運転席と助手席の間の場所から流れ込んできて、自宅そばの動物病院に着くと彼女の生きていた頃の元気な匂いが一気に強くなって(クッキーみたいな匂いでしたにっこり)、自宅の前を通りすぎるまでその匂いが強いまま、消えませんでした。

彼女の興奮した時の、はぁはぁとした生暖かい息づかいの匂いもしてきたのには驚きました。

 

錯覚かもわかりませんが、私と夫は「あぁ、ぽんちゃんは今、後部座席でみてるんだね!こんなに喜んでくれるんだね!」と言い合って、凄く嬉しくなりました。

 

自宅を離れ斎場へ向かうと徐々に彼女の匂いは消え、またあの独特の死臭が漂うようになりました。

 

とても不思議な体験でした。

 

斎場につくと、偶然にも、ゆんぼの時にもお世話になった担当のおじいさんで、心を込めて見送ってくださり、土曜日でお忙しいにも関わらず最後までとても親切で丁寧に娘犬を弔っていただけました。

 

たくさんのお土産を持たせて、可愛いお花に囲まれた娘犬は最後までとってもとっても可愛かったです。

 

(お土産を持たせすぎて、棺がパンパンになってしまいましたが爆笑)

 

そうそう、最後まで娘犬らしいなぁ、と思った出来事がもうひとつありました。

 

娘犬は色々とタイミングが良い子で、ラッキー♪な事がよくある子だったのですが、

この日も、骨壺と箱を選ぶ際、ゆんぼ(スカイブルー)と色違いのピンクにハート模様の骨壺を希望したのですが、最近の材料不足で入荷が出来ておらず、在庫が無いかもしれない……と葬儀社の事務の方に言われたのですが、最期の1個が幸運にも残っており、無事可愛い骨壺におさまることができました昇天

 

ラス1で間に合ったなんて、最後までラッキーな子だったなぁ…と夫と笑いました。

 

お別れはとっても淋しいけれど、

娘犬はお別れまでの準備の時間を4ヶ月もくれて(7月の発病から11月まで)、最期の1日だけ寝たきりで、それまでフラフラながらも自分で歩き、

死の3日前には突然元気な姿をみせ、室内スタスタ歩き、さつまいもをモリモリ美味しそうに食べるという姿を見せてくれました。

 

きっと、最後までこちらの心配を少なくしようとして、ふるまってくれたんだと思います。

 

もしかしたら、ゆんぼたちが、ぽんちゃんに最後の力を与えてくれたのかもしれませんね。

 

いつか来る別れの期限はわかっていたので、覚悟もできていました。

 

だから、私なりに精一杯、毎日彼女との時間を大切に思い、お世話をさせてもらえたこと、これ以上の幸せはありません。

 

夫の友だちに獣医さんがいるのですが、彼いわく「フレブルで15歳まで生きたのは凄い。その上、外側(耳・目・手足)の老化から始まり、最期に内臓の疾患で亡くなるというのは、これ以上ないほど幸せで、理想的な死に方だ」と教えてもらいました。

 

違和感を覚える方もいるでしょうが、私はこの言葉にとても救われました。

 

あぁ、ぽんちゃんは犬の世界でも、しあわせな老い方ができて、理想的な死に方ができたんだな、と。

 

色々と、「あの時、あぁしていれば…こうしていれば…」と思い続けてしまう気持ちが消えることはありませんが、少なくとも、可哀想な死に方ではなかったのだと慰められました。

 

また、最期の日、かかりつけ医が休診日だったので別の病院に駆け込んだのですが、その先生にも「はぁはぁ苦しそうなのは生理的な反応で、ぽんちゃんの意識はもう無い状態なので、苦しくはない状態なんですよ」と言っていただけたのも、気休めかもしれませんが、救われた思いがしました。

 

最期の瞬間、彼女が思いっきり息を深く吸い込んで手足を空に向け伸ばし、気持ち良さそうにゆっくり吐き出しながら地上に戻ってきた姿がまるで魂が空へ向かって昇っていく姿に見えて、「あぁ…よく生きた!」「バイバイ、ありがとう」と言ってくれたように思えて、最期まで立派な娘だったなぁ……と、わたしが育てた犬とは思えないくらい、優しくて立派な子だったなぁ……と感謝の気持ちが溢れました。

 

姿としては見えなくなったけど、

彼女は見守ってくれている。

そう感じます。

 

わたしが深く深く悲しまないで済むように、と死後に、思いがけない優しさをたくさんお土産に残してくれました。

 

死の当日すぐ、私の両親と弟が会いに来てくれました。

まさか両親が駆けつけるとは思わなかったので驚きました。

夫と両親と弟と私で彼女に代わる代わるお別れを言って、たくさんの思い出話をしながら泣き懐かしい思い出に笑う事で、家族って温かいんだなぁ…と、夫は「両親はぽんちゃんは勿論だけど、それ以上にあなたを心配して来てくれたんだよ」と言ってくれたのも、心強い見方が私にはいるんだなぁ…と感じて嬉しかったです。

 

翌日には横浜でのかかりつけ医の先生が可愛らしいお花を贈ってくださいました。

お礼を時間外だったので留守電に入れていた途中、ガチャン!と切り替わり、先生が出てくださって10分以上もお話をしてくださいました。

多忙な中、お花を手配してくださっただけで嬉しかったのに、時間外の電話に出て慰めてくださった先生の優しさが本当にありがたく、心に沁みました。

 

私思ったんです。きっとぽんきちは、優しくて大好きだったこの女の先生に最期を見せたくなくて、いつまでも笑顔の記憶のままでお別れしたかったから、あえて先生のお休みの日を選んだんじゃないかな、と。

 

その翌日には友人からお花が届き、ぽんきちの周りは自分たちで買ったものも含めてお花畑のようになりました。

お花をくれた友だちも、忙しい身にも関わらず、LINEで何度も励ましてくれました。

そしてその彼女から、動物の魂は匂いで存在を教えてくれるんだよ、と教えてもらいました。

 

全くそういう知識がなかった私は、ただ柏の家周辺で起こった出来事を話しただけだったので驚きましたが、娘犬は自分がちゃんと喜んでいるよ!と存在を示してくれたのだなぁ…と更に納得できて本当に嬉しかったです。

 

他にも、そろそろ死臭がしてきたなぁ、と思った頃に、向かいの家のおじいさんがたくさんのみかんをくださり、娘犬にもたくさんお供えしたところ、みかんの良い香りに包まれて幸せな空間になったり、義母が心温まる言葉をかけてくださって足が悪いので横浜には行けないからせめてもと、お花を贈ってくださったり、隣の娘犬を可愛がってくれたおばあさんがもぎたてのサラダ菜をくださったり(笑)、

柏の大好きな先輩が連絡をくださって、落ち着いた頃にまたランチに行こうね!と励ましてくださったり、最近連絡を取り合ってなかった友だちから連絡がきたりと、嬉しい出来事が次々と起こって悲しみに暮れる暇がない日々を送ることができました。

 

気持ちが沈むと誰かしら連絡をくれるので、なんか自分が思ってたほど、私は孤独じゃないし、人に恵まれているんだなぁ……と、改めて周りにいてくれる家族や友人たちに感謝でいっぱいになりました。

 

全部、全部娘犬が手配していってくれたんじゃないかな?と思えて、たくさんお土産を持たせて旅立たせたつもりが、逆にたくさんの優しさ溢れるお土産を残していってくれたんだなぁ……と、うまい表現ができませんが、そんな気持ちになりました。

 

娘犬は、引っ越しをするたびに知り合いが1人もいない土地で心細い私にいつも寄り添ってくれました。

彼女と散歩していると不思議と色んな方々が声をかけてくださり、知り合いができ、顔見知りになって、いつの間にか輪が出来ていて、笑顔の思い出をたくさん作ってくれました。

 

最後の最期まで、笑顔いっぱいの輪を残してくれました。

 

 

 

ぽんちゃん、ありがとう。

 

ぽん吉なんて名前をつけてごめんね。

 

(お父さんのせいだよ!)

 

でも、その名前のおかげで、どこに行っても一発で覚えてもらえて、可愛がってもらえたよね。

 

ぽんちゃん♪

 

大好きな大好きな宝物です。

 

また会おうね。

 

それまで、お父さんもお母さんも頑張るからね。

 

ぽんちゃんが生ききってくれた姿、忘れないからね!

 

幸せな15年間を、どうもありがとうにっこり

 

いつまでもいつまでも大好きだよ。

 

 

お母さんより

 

 

 
 
最後にまっきーの「てをつなごう」を紹介させてください。
 
娘犬の亡くなった週の放送で流れたこの歌は、
3.11の震災後、子どもたちの為に、復旧した電車にたくさんのキャラクターたちが手
をつないでいる姿をプリントして応援する、その企画に賛同したまっきーが作った歌です。
 
娘犬がいなくなり、悲しみが溢れそうな時にこの歌を聴いたら、なんだか娘犬に「わたしとあなたは言葉や食べるものは違っても、心は繋がってるよ。ずっと友だちだよ」「だからこれからは、もっと外の世界に出てごらん。いろんなヒトと友だちになっておいでよ」と言われたような気がして、心がポカポカしてきた歌です。
 
著作権フリーで、どなたでも使っていただける歌だそうなので、ぜひ保育園などで使ってくださいとまっきーも言っていました。
 
今の時代だからこそ聴いてほしい、素敵な歌ですので、たくさんの方に聴いていただけたらいいなぁ…と思います。