こんにちは
涼しい風が吹き始め、朝晩が冷えてきましたね。
過ごしやすい季節がやっと来て、
娘犬も体が楽なようで、病状も安定しています。
朝晩の散歩もテクテクと歩き、
最近はカステラがお気に入りのようで、美味しそうにバクバク食べています(笑)
さつまいもと梨も大好きで、美味しそうに食べている彼女を見ていると、こちらまで笑顔になります
これから秋の味覚が楽しい季節になるので、彼女の為に色々と買ってきて
食べさせたいなと思います(笑)
そしてもう少し涼しくなったら、いよいよ車でおでかけしたいです
さて、少し過ぎてしまいましたが、
9月21日は宮沢賢治さんの命日でした。
今年は没後90年ということで、色んなイベントがあったみたいですね。
行かれた方はうらやましい…
童話村のアートやイルミネーションを一度見てみたいです。
昔行った時とは岩手も随分変わっているのでしょうね…(色褪せない賢治さん人気ににんまりしますが)
ていうか、たった90年前まで生きておられたという事に改めて驚くというかなんというか…
同じ時代に生きたかったな…(でも生前は賢治さんは無名でしたので知る方法もありませんが)という自分がにょきにょき顔を出します(笑)
ここで何度もお伝えしているように、
私は小学生の頃から宮沢賢治さんのファンでして(笑)
あの優しくて不思議で切なく、ちょっと不気味な世界観が大好きなのです
小学校の国語の教科書に載っていた「雨ニモマケズ」「永訣の朝」を読んだときの衝撃は忘れられません。
なんて、美しくて透明な魂をもった人なのだろう…と感動し、すぐさま賢治さんの本を買ってもらいました。
恥ずかしながら、それまで外国の童話ばかりを読んでいた私は、日本人の童話を読むことがほぼなく、賢治さんの本に触れたのもこの時の、小学校3~4年の頃が初めてでした
読んでみたらまぁすごい世界が拡がっていて、なんて凄い人なんだ!!とまたもや衝撃を受け夢中になって読みました(笑)
その中で、今でも私の中のナンバーワン作品が「グスコーブドリの伝記」です
人によっては独善的で暗い作品かもしれませんが、
主人公ブドリが、過酷な運命の中、様々な困難を乗り越え、冷害の酷いイーハトーブを何とか救おうと勉学に励み、最後は冷害を回避するため自らが犠牲になり、人々の暮らしを守った…というお話なのですが、
子どもの私は、それまで生きてきて初めて、自己犠牲と利他的に生きることの意味を考えることとなった作品でした。
今でも色々と考えてしまう物語です。
銀河鉄道の夜などに比べると、ちょっとマイナーな作品?かもしれませんが、
科学者でもあり、冷害の酷い岩手の地で、農民の為に最期の日まで尽力した賢治さんの生き方がそのままこの物語のブドリとして生きていて、賢治さんの理想の姿がこのブドリなんだろうな…と想像でき、何度読んでも、じわ…と、くるものがあります。
冷害を予測したブドリが自身を犠牲にして温暖化させる計画をクーボー大博士にもちかけ説得する場面でいうセリフは、
賢治さん自身の言葉に聞こえて、あぁ、本当にこの人は心の底から自分の命より、みんなの幸せを願って生きていた人なんだ、と大泣きしてしまうのです。
『私のようなものは、これからたくさんできます。
私よりもっともっとなんでもできる人が、
私よりもっと立派にもっと美しく、
仕事をしたり笑ったりして行くのですから。』
賢治さんの羅須地人協会時代に書き上げた『農民芸術概論綱要』の中にもこんな一文があります。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
銀河鉄道の夜にも、
「きっとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。
どこまでもどこまでも僕たち一緒に行かう。」
というセリフがあります。
賢治さんの人生は、「みんなのほんとうの幸いを探す旅」でした。
自分ひとりだけの幸いではなく、みんなの幸いを願う人生でした。
今の世の流れを見ていると、
我がことだけが良ければよい、
という流れになっているように思えてならないのです。
自己犠牲をする必要は無いけれど、
利他的に生きる優しさを少しずつ互いが持ち合えれば、
もっとみんなが生きやすい平和な世の中になるのにな…なんて、
賢治さんを読むと思ってしまいます。
もっと子供たちが宮沢賢治の作品に触れ、
やわらかい心の中に、その根底にある優しいメッセージが響いてくれるといいな…
と願います。
と、なんだか後半は変な語りになってしまいましたね(笑)
そんな事を考えてしまったのでした(笑)
子どもの頃見たアニメ映画です。昔の風俗が見れて素敵な映画でした。
↓イメージイラストです
ブドリが夢見たオリザ(稲)がいっぱいのイーハトーブを見守る姿を描きました。
それでは今日はここまでです!
最後までお読みいただきありがとうございました
今日もみなさんの素敵な願いが叶いますように