こんにちはにっこり

 

このところトンボが川沿いを飛んでいる姿をみかけるようになりました。

いよいよ夏も終わりが近づいてきているんだなぁ…と、

娘犬と散歩しながら、酷暑の夏が過ぎるのがほっとするような

でも夏が終わるのが名残惜しいような…少し複雑で寂しい気持ちになります。

 

私は夏が好きなので、そんな気持ちになってしまいます。

 

 

ヒマワリ

 

 

 

さて、

皆さんは池田晶子さんという方をご存知ですか?

 

今日は偶然にも、彼女のお誕生日です。

(今気づいて驚きました)

 

二十年ほど前に四十六歳という若さで鬼籍に入られた女性哲学者の方ですが、

とても美しい方で、書かれる哲学はわかりやすい言葉で、まるでエッセイを読んでいるかのような気軽さで読めて

それでいてとても深い内容で、

物事の真理について考えることの尊さを、

我々に自らが考えられるようになる為にはどうすればいいのか

自分の頭で物事を考えること、常識に疑問を持ち、深く探究することの大切さを

それらをとても分かりやすく教えてくださる方でした。

 

先日義実家の掃除をしていた際、今は亡き義父の蔵書から「41歳からの哲学」を見つけ読みました。

(義父は熱心な読書家でしたので義実家にはたくさんの蔵書があります)

 

二十年前の本ですが、そうとは思えない現在に通じる…それどころか、

二十年前に彼女が懸念していた日本の未来の姿に今の日本がなってしまっているという現実に愕然としました。

 

世の中の常識というものは(戦時中の日本を想像すればわかりますが)その時勢と共に移ろい変化しますが、

池田晶子さんの哲学は普遍で物事の真理を説いています。

 

二十年前の本なので、当時の事件やテロをもとに(アルカイダやオウム真理教、宅間守など)書かれていますが、

それらに対する彼女の考え、なぜ人は争うのか、殺すのか、命とは、生死とは…

それらについて、今でも通じる、いや、ウクライナが侵略され、世界情勢が不安定な今だからこそ、心を強く持つ為に必要な事がたくさん書かれていました。

 

前半は戦争について、後半は日本社会についての内容でしたが、

 

中でも『「死ぬ」ことの意味をわかっていない~少年犯罪』の章で語られる内容が

現在日本社会の問題の根本だと感じました。

 

最近では簡単に人が人を殺す。

しかも、思いあぐねた風でもなく衝動的に殺す。

子どもも、しかも一見「普通の」子どもが子どもを殺す。

世間はそれを「心の闇」だと「闇さがし」をするが、そうではない。

むしろ逆に、思春期の子の誰にでもあるはずの「自我の葛藤」や「人生への問い」などが彼らにはなく

「闇」がない事が問題なのではないか。

「心の闇」すなわち「心の壁」は、自分とは何者か、他者とは何者か、

人生にとって大事な問いをあれこれと悩むことで形成される。

しかし、そういう問いを問うべき時期に、問うことをしないと、

人の心は壁が無くツルンとしたままである。

すぐに殺す子らをみていると、彼らは罪悪感という感情すら知らないのではないか、と思う。

 

恐らく彼らは、それまで人の死ぬのに会ったことがない。

それで、死ぬという、人間にとって最も根源的な出来事を、他人事としてしか理解できないのである。

 

 

この本では「子ども」の問題として扱っていますが、

二十年後の現在では「大人になった子ども」が事件を起こし、問題を起こしています。

私の世代でも、この「心の壁がなくツルンとした大人」がいるなぁ…と感じます。

自分が死にたいけど、一人で死にたくないから他人をたくさん巻き込んだり、

誰にも相手にされない寂しさを迷惑行為で注目されることではらすような人間が増えたのは

こういう事なのではないかなぁ…と思いました。

 

また、私は祖父母の死や恩師の死、愛犬の死など、

「死」を目の当たりにしてきたことで

命のあるものが「死ぬ」とはどういう事か、

永遠ではなく次の瞬間には無くなる可能性のあるもので

居なくなるともう二度と会えないのが「死」であり、

その時わき起こる感情はどういうものなのか、

遺体の目の前にして感じる言葉にできない恐れともいえる感覚など、

「死」について実感を伴って知り、思いをはせることが出来ましたが、

 

私の夫は五年前に義祖父が亡くなるまで

身近に「死」を感じることなく生きてきた為、

いざ義祖父が亡くなった時には、たとえようもないほどの恐れにのまれ、

「死」を受け入れるのにとても時間がかかりました。

あの時の夫の姿を見ると、「死」はとても身近な存在であるにも関わらず

人間は「生」を当然のものとして考え、いざ「死」が直面してきた時、

これほどまでに驚くものなのかと思いました。

それくらい、「死」は自分とは無関係だと

現代人は感じて(信じて)生きているのだと思った出来事でした。

 

(そうはいっても、私も身近に「死」を感じる機会がなければ、

きっと同じような反応と感覚で生きてたことでしょう)

 

我々は生きてくことで精いっぱいで、毎日時間に追われ、

少しずつ自分の頭で考えることを放棄し

常識だったり国が指示することを「当たり前だ」と受け入れてしまいます。

それが一番てっとり早いし楽だからです。

ですが、本当にそれでいいのでしょうか?

 

物事の表面上では見えない、当たり前を疑問に思い、本質について深く考える時間をもつ豊かさが

今の日本には必要なのではないか、と池田晶子さんの本を読んで感じました。

 

待てない人間が増えた、とも聞きますが

きっと、そういう事なのだと思います。

 

41歳からの哲学 池田晶子

 

 

今日はやや大人むけの「41歳からの哲学」をご紹介しましたが、

中学生でもわかるような哲学「14歳からの哲学」もとても分かりやすく親切に書かれてますので

ぜひ、若い人々に読んでもらいたいなぁ…と思いました。

 

14歳からの哲学 池田晶子

 

 

池田晶子さん、お誕生日おめでとうございます。

素敵な本をたくさん残してくださり、ありがとうございました。

 

願わくは、今でもご健在で、

今の日本社会をどう思われるか、お聞きしたかったです。

 

 

 

 

 

ヒマワリ

 

 

それでは今日はここまでで。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

今日もみなさんの素敵な願いが叶いますようににっこり虹